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Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その2

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エリック・メイソンによるライナーノーツ(後編)

1982年7月19日に録音され、8月3日に放送されたピール・セッションは、マイケル・ヘッド曰く「これまでで最高の演奏の一つ」である。このCDに収録されているジョン・ピール・セッションの曲がすべてそうであるように、「Lavinia's Dream」はピールの番組で放送されて以来、初めて聴けるバージョンだ。(別バージョンの「Lavinia's Dream」は、クレプスキュールのレアな12インチ「Just A Girl」のB面に収録されている。)「Abergele Next Time」や「Crazier」は、『Pacific Street』の中で魔法のように光り輝く西海岸風のポップスだが、『Longshot For Your Love』では、未発表の初期の習作段階がのもの聴ける。ピールセッション・ヴァージョンの「Thank You」は、ペイリーズ最大のヒットングルを、バンドが望んでいたかもしれないサウンドで聴くことができる。マイケル・ヘッドは、完成した「Thank You」のシングル・バージョンについて、取り入れたかった60年代のオーケストラのフィーリングをあまりにも模倣しすぎたと考え、失望していた。アンディ・ダイアグラムは、シングル・バージョンは独創性がなさすぎると述べた:「ある意味、アレンジャーはうまく仕事をしすぎたんだ。彼らは僕らが求めていたもの、つまりダスティ・スプリングフィールドみたいな60年代風の曲にしてくれたんだけど、そのサウンドに戻りすぎてしまったと思う。」(Debut誌, 1983)。また、ピール・セッションの曲の中には、初期のライブで人気のあった「Norfolk Broads」がある。るこれにはラヴの影響を受けたギターのイントロ(テンポが変わる)や、「サン・ホセへの道」のトランペットとバ・バ・バというコーラスが入っている。

ピール・セッションと同様に、1983年4月に出演したThe Old Grey Whistle Test(※7)の音源も初収録で、ペイリーズの名曲がいかに磨かれていったかを知ることができる。「Hey There Fred」は、このCDで初公開になる曲だ。
この曲は、1983年5月14日に放送されたジャニス・ロング・セッションでも、「(There's Always) Something On My Mind」、「Louisiana」とともに演奏された。BBCがこのセッションを紛失したことにより、The Old Grey Whistle Testのこの録音が、1985年の『...From Across The Kitchen Table』で「These Are The Things」に形を変えることになるこの曲の唯一の記録となっている。OGWTバージョンの「Palm Of My Hand」は、リリースされたバージョンの豪華なオーケストレーションとプロダクションを除いたもので、この曲に対するマイケルの元のヴィジョンに、より忠実なものである。マイケルは、リリース・バージョンのプロダクションが、この曲の活力を損なっていると感じていた。「Free」はソウルの歌姫、デニス・ウィリアムズの1976年の全米ヒット曲のカバーで、ペイリーズにぴったり合っている。マイケルのボーカルは特筆すべきものがある。The Pale Fountainsの曲で彼が定期的に解き放つ素晴らしい歌い回しの多くは、60年代と70年代のクラシック・ソウルにルーツを持っている。

※訳注7:オールド・グレイ・ホイッスル・テスト(The Old Grey Whistle Test / OGWT)はイギリスのテレビ音楽番組

『Longshot For Your Love』には、ペイリーズ・バージョンの「We Have All The Time In The World」も収録されている。このレア音源は、クレプスキュールのサウンドトラック・トリビュート『Moving Soundtracks Vol.1』のために、1982年にブリュッセルで録音された。ジョン・バリーが作曲したこの曲は、もともとルイ・アームストロングが『007』シリーズの『女王陛下の007』(1969年)のサウンドトラックのために演奏したものだ。タキシードムーンのブレイン・L・ライニンガーがプロデュースしたこのカバーバージョンは、ジョン・バリーや、50年代・60年代映画のサウンドトラックを、インタビューや音楽の中で常に引き合いに出していたペイリーズにとっては、必然の選択だったといえる。マイケルは、「Thank You」のB面の「Meadow of Love」(『黄金銃を持つ男』をモチーフにしたトランペット入り)を、ボンド映画のテーマ曲の候補に提出することを望んでいたほどだ。アルバート・フィニー主演の『土曜の夜と日曜の朝』(1961年)(※8)などのイギリス映画への愛は、『Pacific Street』の頃にはさらに顕著になっていた。(その映画でフィニーが演じた主人公「アーサー・シートン」(※9)には、スリーブノートで感謝が捧げられている。)

※訳注8:原作は英国人作家アラン・シリトーのデビュー作(1951年)
※訳注9:Arthur Seatonの名前は、2ndアルバムのタイトル曲「...From Across The Kitchen Table」の歌詞の中でも引用されている

いよいよ『Pacific Street』がリリースされた頃、ペイリーズはすでに少し違う方向に向かっていた。このアルバムのプロモーションのためのライブは、1985年2月に(マイケル・ヘッドにしては)非常に早く発表されたヴァージン・レコードからのセカンド・フル・アルバム『…From Across The Kitchen Table』の核となる新曲へと傾いていった。アンディ・ダイアグラムが脱退し、マイケルの弟ジョン・ヘッドのギターがより重要な役割を果たすようになったことで、ペイリーズは『Pacific Street』の「Natural」や「Start A War」といった曲で示唆していた、よりハードなエッジのサウンドへと向かったのだった。

このコンピレーションで初めてCD化された「Love Situation」は、ペイリーズのサウンドが進化していることを示す初期の兆候であった。1984年3月にリリースされ、長い間失われていたこのペイリーズの名曲は、シングル「(Don't Let Your Love) Start A War」のB面に収録されていた。これは、マイケルが『…From Across The Kitchen Table』やその後の作品で取り入れていくことになる、ギター中心の、よりハードなサウンドの方向性を示すもので、ボーカルは、枯れそうなほど太い声だ。アンディのトランペットがなくなり、ジョン・ヘッドのギターがその役割を担っている。

アンディ・ダイアグラムが、バンドの初期のレコードの特徴づけている全体的なフィーリングに貢献したことを過小評価することはできない。『Pacific Street』の後にアンディがバンドを去ったことで、バンドのサウンドに決定的な変化が生じ、バンドが目指す方向性が明確になった。マイケル・ヘッドはアンディの脱退をこう説明する: 「アンディは、トランペットだけでなく、キーボードや、ちょっとしたギターも演奏して、歌も歌っていたんだ。ある日、ふと振り返って『僕はこれに興味ないな。トランペットやマイルス・デイヴィスなんかが好きだし、それが僕のやりたいことなんだ』と言うんだ。それで長い間話し合ったんだけど、僕はスパンダー・バレエのように、曲の途中までサックスのソロを待っているような状況になってほしくないって話をした。トランペットのソロを待っているのもそういうことだと考えたんだ。彼もそれはわかっていたので、ある日急に、脱退を決めたんだ。」 (Jamming誌, 1984年)

バンドの影響は古典的なものであることに変わりはなかったが、ジョン・バリー、バート・バカラック、中期ラヴがペイリーズのサウンドを支配する代わりに、『名うてのバード兄弟』(※10)、フォーク、マージービートをやや粗く混ぜたものが支配し始めた。リバプール出身という理由だけでThe Pale Fountainsをビートルズと比較していた初期のメディアは、純粋に音楽のレベルにおいては、今ならもっと意味があったかもしれない。ペイリーズのキャリアでは、これまでマイケルのアクセントでしかわからなかったリバプールの影響が、彼の作曲スタイルに、より顕著な見られるようになった(今でもそうである)。このような変化にもかかわらず、メロディーメーカー誌のレビュアーは『...From Across The Kitchen Table』を「1985年最初の素晴らしいアルバム」だと評した。

※訳注10:『The Notorious Byrd Brothers』は1968年に発表されたザ・バーズの5枚目のアルバム

しかし、評論家からの高評価は、バンドを救うには十分ではなかった。ヒット作がないまま、The Pale Fountainsとヴァージンの契約は1986年までで解消された。最後に「...From Across The Kitchen Table」の2つのシングルがリリースされた。1つはこのコンピレーションに収録されている「Just A Girl」の未発表バージョンを含む、非常に珍しい2枚組7インチセットだ。1982年9月にフルオーケストラで録音された、このペイリーズのファーストシングルの無名のバージョンは1985年6月に発売された。このバージョンをプロデュースしたロビン・ミラーは、80年代のボサノヴァ・リバイバル・バンドの多くに選ばれたプロデューサーである。彼はWeekend、Everything But The Girl、そして80年代後半にはシャーデーをプロデュースした。バンドは一周回って、キャリアを始めたのと同じ曲でキャリアを終えることになったのである。

1985年以降、マイケル・ヘッドのアルバム作品は3枚しかリリースされていない。Shackという新しい名前で、マイケルは1988年にディック・リーヒーのゲットー・レーベルから『Zilch』をリリースした。1991年に録音されたShackの伝説的な失われたアルバム『Waterpistol』は、ゲットーの倉庫から見つけ出され(マスターテープが火事で焼失し、プロデューサーのDATバージョンがアメリカのレンタカーに残っていたという噂だ)、1995年にマリーナからリリースされた。Vox誌はこの作品を「この10年間で最も傑出した誠実な音楽の一つ」と的確に表現している。マイケル・ヘッドの最高傑作のひとつである「Al's Vacation」(非常にレアな1991年のシングル)は、マリーナが1996年にリリースしたコンピレーション『In Bed With Marina』(ma 21)でCDとして再発された。

1997年、マイケルの最新作『The Magical World Of The Strands』(実際の演奏は1995年に行われた)が、フランスのインディー・レーベルから「Michael Head (Introducing The Strands)」という新しい名義でリリースされた。

そして今回の『Longshot For Your Love』は、最も楽観的なミック・ヘッドのファンでさえも望んでいた以上のものである。これらの音源を実際に手に入れることは、ほとんど非現実的なほどだ。ペイリーズのファンの間で、崇拝され、密かに噂されるだけだった曲たちが、今、聴けるようになった。それは決して期待を裏切らない。時代を超越したポップ・ソングがそうであるように。

エリック・メイソン
1998年2月


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