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ひいらぎの窓【第五回】:彼女を愛しているがここで死なれてもめんどくさいなと思うやさしい午後のひだまり/フラワーしげる

こんにちは、こんばんは。湯島はじめです。
お読みいただきありがとうございます。

「ひいらぎの窓」第 5 回目です。
はやいですね。わたしは子どものころからなにかを継続するのがとても苦手なたちで、友だちとの交換日記をしょっちゅう自分のところで止めてしまっていたので......今こんなふうに書き物などを続けられることがたまに、とても不思議に思えます。楽しいからね。いつもありがとうございます。

今週も、ほのかに桜の咲きはじめた日曜日の夜、すこしさみしい短歌を読んでいきましょう。


本日の一首はこちらです。


彼女を愛しているがここで死なれてもめんどくさいなと思うやさしい午後のひだまり

フラワーしげる「歌集『ビットとデシベル』より」


主人公(私)から「彼女」への愛の歌だと思う。

「彼女」は死をほのめかすようなことを言ったのかもしれない。
あるいは、(私)が彼女にふと死の気配を感じてそのような想像をしたのかもしれない。
いずれにせよ、この「彼女」からは死とは無縁のはつらつとした人という印象は受けとれない。悲しみやさみしさの中にいる人というイメージが浮かぶ。

「ここで死なれてもめんどくさい」
その淡々とした言いぐさはやや乱暴にも、つめたく突き放したようにも、強がりのようにも感じられる。
「ここで死なれてもめんどくさい」の反対はなんだろう。あえて言うなら「あなたが死んだら生きていけない」といったところだろうか。
でも実際には、愛している相手の死であっても自分の生活がまるごと持っていかれるようなことはなく、そのあとも生は続いてゆく。
いくら愛している相手であっても、他人と自分は一体にはなれない。

愛していることと、「ここで死なれてもめんどくさい」と思う心は両立する。
すこしぐらい現実逃避をしても許されるようなやさしい午後のひだまりのなか、あえてそのようなシビアなことをことばで考えながら「彼女」と対峙している。

真摯で、愛情深く、けれど人と人の、健全ではあるのだけどどうしようもない隔たりを感じる一首だと思う。



ところでこの短歌を読んだとき、長い......!と思いませんでしたか?

第1回のときに『短歌は基本的には 5・7・5・7・7 の 31 文字の短い詩』と表現したが、この歌は 41 文字(41音)もある。
こんなふうに、字数が派手に多かったり、あるいは少なかったりする短歌は「破調」と呼ばれる。

冒頭の歌を声に出して読んでみると、

彼女を愛しているが/ここで死なれても/めんどくさいと/思うやさしい/午後のひだまり

このように分かれるだろうか。

「思うやさしい/午後のひだまり」
この部分は、多くの短歌と同じようなリズムで読むことができる。
だが前半はどのように区切っても文字があふれていて、声に出して読んでみると、短歌のリズムというよりもセリフ(独白)のような印象になる気がする。わたしは、この淡々とした調子が歌の内容にとてもあっているように感じた。

基本的なリズムを崩した破調は、ときに文字列から読みとれる情報以上の情緒を短歌に与える。「声色」のようなものだと思う。



今日の一首の作者はフラワーしげるさんです。
「フラワーしげる」は歌人としての筆名で、「西崎憲」名義で作家・翻訳家として活動されています。
ふしぎと、筆名と作風がものすごく合っていて、作者名の表記までが作品と感じられるような方が時折いるのだけど、フラワーしげるさんは個人的にその筆頭かもしれません。



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