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いつも疑って全部見ていこうよ

「心が弱っているときに頑張っている人や一生懸命な人を見るとますます弱ってしまう」ということがあり、その気持ちがよくわかるので、たまに申し訳ない感情になります。

自分で言うのもあれなんですが、ぼくは傍から見ると恐らくかなり「頑張ってる感じ」を醸し出してるだろうなと思われます(実際は寝てばかりで、今日も12時間ぐらい死んでたんだけど…)。その「頑張ってる感じ」が「自分も頑張ってみようかな」につながってくれたら嬉しいのですが、反対に「自分なんかぜんぜんだめだ」につなげてしまうこともきっとあるはずで、だから、なんか、なかなか難しいです。

こういったことを書くと「調子に乗ってんじゃないよ、誰もお前のことなんか見てないよ」ともうひとりの自分が囁いてくるのですが、しかし「自分が他人になんらかの影響を与えることがある」というのは普段の人間関係の中でもつねにあることだから、たとえ自意識過剰だとしても、こういったことについては念頭に入れておきたいなと思います。そうしないと「誰かを深く傷つけてるのかも」ってことすら考えないようになっちゃって、それは点滅社的にはアウトなので、大事です。これはニーネの曲でいうならば「かっこつけていこう」です。…なんかちょっと強引かもだけど…。


いつも疑って いつも疑って 全部見ていこうよ

かっこつけていこう


例えば、「夢を叶えるために努力する」というのは基本的に「素晴らしいこと」や「正しいこと」とされがちだけど、果たして本当にそうなのか、ぼくははっきり断言できません。「夢に向かって突き進むことで、何か大事なものを落としてしまったり、誰かが遠慮してしまったり、なんかそういう可能性もあるんじゃないの?」みたいなことを考えがちです。だからこの「いつも疑って全部見ていこうよ」という歌詞が好きです。ぼくがニーネを「やさしいバンドだ」とよく言うのはこういう歌詞が多いからです。ほかにも「茫洋」という曲では、

自信いっぱいの顔している人はなんか変なんじゃないのかな?
自信なんかあまりないぐらいの方が俺はいいよ

茫洋

という歌詞が出てきます。「自信」は、普通に考えるとあった方がいい。生きやすくなるし、あとたぶんだけどモテる。でもニーネはそれに対しても「なんか変じゃない?」と歌ってくれます。いつでも常識を疑っています。どうしてこんなに疑ってばかりいるのか。それはやはり「やさしくなりたいから」なんだろうなと思います。そうじゃなければ「何も出来ずに消えてく人もいるよ」とか「小さなことに落ち込む君が好きだよ」とか「いつも楽しんでいられる人は変だよ」とか、そういう「社会の【普通】からこぼれ落ちそうになっている人もいるよ」みたいな歌詞は書けません。

優しい言葉の裏に見えなくなっていく
面白さの影に霞んでいく
ダメになってしまった今だからこそ必要な
わからなくなってしまった今だからこそ重要な
置いてかれても 忘れられても
本物の魅力を 本当の魅力を 本当の魅力を 見つけ出してくれ

忘れちゃうってこと(2003/9/7 高円寺Jirokichi)ver


ニーネは、世間で「すばらしい」とか「やさしい」とか「かっこいい」とか「つよい」とか「おもしろい」とか言われていること、全ての常識や当たり前、それによって霞んでしまうものがあるのでは?本当に大切なことは別の場所にあるのでは?みたいなことをいつでも考えているバンドです。「よわい」とか「ダメ」とか言われる場所にいつまでも踏みとどまって、そこでずっと「本当の魅力」を探し続けていたバンドです。今でもそうです。この姿勢がすごくかっこいいなと思うのです。これが本物の「かっこいい」なんじゃないかなと思います。




…なんだかいつも以上に文章が読みづらくなってしまったな。ごめんなさい。とにかく「やさしくなるためには疑う力が必要なんじゃないかな?」という記事でした。

でも「いつも疑う」って、めちゃくちゃ大変なんだよね。やりすぎると加害者意識が強まって毎日が反省会になるし、周囲から理解されないことも多いし、そもそも普段の生活をこなすだけでも精一杯なのに、そこに「なんでも疑ってみる」まで追加しちゃったら、それはもう尋常じゃないぐらい疲れてしまうに決まっているのです。「どこでもいつも誰とでも笑顔でなんかいられない」だよ。そんなことは無理です。だから、疲れ切ってしまったときは、疑うことは一旦やめて好き放題した方がいいのかもです。そしてちょっと回復してきたらまたがんばる、みたいな。ぼくはなんかそんな感じで行きます…ますますわかりづらい記事になってしまったかも…むずかしい…。




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