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普通にやるのも全然楽じゃないぜ

「駅まで向かう途中で2回歩けなくなったらその日は精神が限界なので帰った方がいい」というのが自分ルールのひとつとしてあるのですが、今日はたまたまその日になってしまったので、ほとんどなにもしませんでした(ぼくの脳ミソがなぜかそういう仕組みになっているだけで特に理由はありません) 

ニーネのサブスクが解禁したことと大阪でのトークイベントのことだけツイートして、あとは放心していました 色んな人に助けてもらっているのにいつもこんなに頼りなくて本当に申し訳ないです

明日になったら復活しているはずなので、そしたら書籍情報やトークイベントのことなどをひとつにまとめた記事を書いて、それをnoteのトップに固定しようと考えています


今日はこの憂鬱な気持ちを利用して帯の話をします


普通に会ったり 普通に食べたり 話をしたりしたいよ
普通に呼んで 普通に歩いて 普通のことがしたいよ
それだけ それだけだよ それだけだよ

「終わりの歌」


表の帯文は「終わりの歌」の歌詞から取りました 

実は、いろんな人に「帯は推薦文の方を表にしないの?」と聞かれました 書店員さんからもたまに尋ねられます


この通り、ニーネ詩集は裏帯がとても豪華で、しまおまほさん、今泉力哉さん、大橋裕之さん、小沢一敬さんに書いていただきました(本当に、本当に心から感謝しています)

ここまで豪華だと、ニーネに対してとても失礼な言い方になりますが、確かに推薦文を表にした方が売れる気がします まだ発売もされてないのでどうなるかわからないですが、書店で売れている本を参考に工夫すればもっといいやり方があったのかもしれないです でも、仮にそうだとしても、表の帯はどうしても「ニーネの歌詞が一行だけ」じゃないとダメでした さらに言えば「普通にやるのも全然楽じゃないぜ」じゃないとダメでした ぼくがこの本を編集したのは「自分の事ができてからでいいよ」とか「普通にやるのも全然楽じゃないぜ」とか「自分のやるべきことを選べ」とか「今日からはもう全部一人でやっていけよ」とか「どこにいても死にそうな時もあったよ」とか「薬飲んで元気出しているよ」とか、そのたったの一行にどうしても心が動いてしまう人に届けたかったからで、それは営業活動中の今も変わらずです 「この言葉が刺さる人に届ける必要があるし、届かないならつくった意味がない」とまで思っています だから帯とタイトルに関しては、本当に誰の言うことも無視して身勝手を貫きました

しまおさんの「きみの詩の方が良いに決まっているから」にはとても勇気付けられました たぶん今泉さんも、大橋さんも、小沢さんも、同じことを考えているはずだと信じています ぼくと同じで、ニーネを聴いて泣いたことがあるはずです

ニーネの歌詞にはひとつの一貫した物語があります いや物語というか、人生があります 全部ぼくの勘違いかもしれませんが、しかしアルバムを発売順に聴いていくと「社会で【普通】と呼ばれていることも、自分が本気で夢中になれる【変】なことも、なんにもうまくできなくて、毎日わけがわからなくて、それで行き詰っている男の人の姿」が浮かび上がってくるようになっています ニーネはいつでも自分の【普通】と社会の【普通】が違うことに戸惑っています それが最も強く表現されている歌詞が「普通にやるのも全然楽じゃないぜ」でした

吉本隆明が「太宰治の作品には『これは自分のために書かれた小説なんだ』と読者に思わせる力がある」みたいなことをエッセイか何かに書いていた記憶があるのですが、ニーネもそうです 「まるで自分のためにつくられた歌だ」と思わせる力があります ニーネを聴いてそう感じる人に正確に届けるためには、帯はこの構成以外あり得ないと思いました

正解だったのかどうかはわからないです でも「少なくともこの件で後悔はしないな」という確信はあります そして当たり前のことですが、仮にもしこれで売り上げが大きく変わったとしてもそれはすべてぼくの責任でありニーネのせいではありません なぜならニーネの詩は良いに決まっているから 「もっと自分の事ができたらなあ」と悩んでいる人へちゃんと届けるためにがんばります 明日からになってしまいますが 今日は無理でした ほんとにごめんなさい 一回寝ます おやすみなさい

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