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わたしたちの夢見るからだ【第一話】:わたしと、身体と 〈前編〉

わたしの身体は、どのくらいわたしなのだろう。いつも思っている。ままならないもの。

 自分そのものであるようでいて、皮膚の数ミリに隠されたその内側で起こっていることは何ひとつわからない。突然痛んだりする。痛めば痛みに引っ張られ精神も落ち込んだりする。
 ひとが理想の自己イメージについて語るとき、身体の形もついてまわる。ここの形が気に入らない、もっと長く、短く、細く、太く、大きく、小さくしたい。
 鏡を見れば顔があって、それが自分の顔だと気づいた時のことはもう思い出せない。分かちがたく自己イメージに結びついているはずのその像も、映すものがなければ、どこかで見かけた誰かのそれと同じように、時と共に忘れ果ててゆくのかもしれない。

 この身体は誰のものなのだろう。この身体とわたしは本当にそのものひとつなのだろうか。その問いが生じたのはいつ、どのようにだったろう。

 あるシーンの記憶がある。
幼い頃だ。外出の際、母親がわたしの着る服を用意し、それを身につける習慣だった。しかしある時唐突に、母親の選んだ衣服を迷いなく身につけることへの猛烈な違和感が生じたのだった。
順序立てて説明できるような言語能力のない頃で、きっと泣いたり地団駄を踏んで嫌がったのだろう。この服は着たくない、自分で選びたい、そういうことをなんとか伝えて、その日は自分で選んだ自分の着たい服を着て出かけたはずだ。
 以来、わたしは、わたしの身につけるものを、自分自身で選ぶようになっていったのではなかったか。

 前を向いて歩くこと。話す時に話し相手のいる方向へ視線を向けること。謝る時に頭を下げること。それらは記憶になくとも確かになんらかの学習と訓練の成果として習慣化された行動であるはずだ。
 今さら地団駄を踏んで嫌がったとして、わたしの身体にまさに文字どおり「身についた」それらの仕草を追い出すには、そのための新たな訓練が必要なのだろう。その訓練を自分で選択できれば、自分の仕草は全き自分のものであると言えるのだろうか。

小学校の体育の授業。もう20年以上前のことになるが、とても嫌いだった。
いまだに小学校の運動場の横でも歩いて教師の命令の音声など耳に入ろうものなら、うっすらとした嫌悪感が蘇ってくる。
 走ることや体を動かすことは好きだったし、また得意なほうでもあった。
 では何が自分にいまだ根強い嫌悪感を与えたのかと問えば、特に集団単位で揃った任意の動作を要求される場面だったように思う。
命令されその通りに体を動かすこと、それが良しとされ命令に従わないことが悪しとされること、その状況に疑問を挟むのも許されないこと。それらが当時のわたしにとって苦痛だった。
 気をつけ、休め。回れ右、命令されたように自分の身体を動かす。同じように動こうとする何十もの肉体。同じ運動服を身につけてもその中にばらばらの個が存在することは瞭然であるのに、個々の差異がまるで誤差であるかのように、同じタイミングでの同じ動作を命じられるひととき。
 自分が集団の中の一構成員とされ、命令に従うことを求められる、その状況をどこかグロテスクなものとして感じていた。

 ひとりの人間として、個としての自意識を捨て去ることはできない。できないのだがその上で、集団としての動作を優先し、個としての動作を抑圧する。
 わたしは、ひとときだけでさえ抑圧されたくなかった。自分の行動の主導権を命令するものにあけ渡すのは不当だと感じた。
そのように感じるわたしは、体育教育において集団行動を要求されるとき、良い生徒でなかっただろう。

 兵役という言葉とその意味を知った時、兵役の中にある命令と被服従の関係性は、体育教育のあるいっときにおいての教師と生徒の間のそれと相似形であるようだと思った。
 もしも集団で揃ったある動きを強制されるその時間、それのみを抜き出すとするならではあるが、その強制のもと個を抑圧した振る舞いのできる良い生徒が数十人完成するという事態は、誰にとって都合が良いのだろう。その誰かは都合の良い状況下で、どんなことをするだろう。
そんなことを、当時のわたしは考えていた。

(つづく)

執筆者:無(@everythingroii

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