「子育て罰」の社会にいきる
「自分は幸せになるべき存在である。
それはこの時代を生きるどの大人も子どもも同じである。」
末冨先生の「子育て罰」読みました。
誰でも子どもを大切に育てていた「子ども天国」の日本は、地域さえも学校化されたことにより子育てを自己責任とみなし「子ども嫌い」「子育て罰」の社会へと変わってしまった。
では何をすべきなのか。いくつも具体な政策提言がなされていますが、それを可能にするためにも大切なのは「自分は幸せになるべき大切な存在である。それはこの時代に生きる全ての大人も子どもも同じである」というウェルビーイングの人間観・社会観だといいます。
価値観不良が刷り込まれていることによって、制度は荒廃(制度が更新されないからいつまでも価値観不良のままという帰結もある)。生活保護はズルい、教育費無償化は貧困世帯だけに限定すべき、という論がまかり通ってしまう。
では何をすべきなのか…子どもの政策を大切にする国会議員を増やすこと。そして有権者の意識が変わること。子どもの現状から見えてくることは政治の怠慢であることがよくわかります。それ以上に教育におけるロビー活動の怠慢なのかもしれません。
いま若者や子育て世代をめぐる問題を提起するためにも「子育て罰」と「合理的排除」の二つの視点をより掘り下げていきたいと思いました。