レ点の前みたいに

ショーケースの前で、2人の女の子が楽しそうに次々とケーキを選んでいく。

「うち、チョコのやつがいい!」

黒髪のボブヘアで活発そうな方が元気よく言う。もう1人は茶髪のロングヘアで、いかにも「女の子」な雰囲気だ。

「私はモンブラン!先輩もモンブラン好きって言ってたから、2個かな」

「舞子は絶対フルーツ乗ってるやつにしないとね」

何の集まりをするのかは知らないが、お互いのケーキの好みを把握しているあたりを見ると、相当親しい間柄なのだろう。幸い今はお客さんが少ない時間帯なので、存分に悩んでくれ。

「ごゆっくりお選び下さい。お決まりの頃またお伺いしますね」

笑顔でそう告げると私はショーケースの内側で箱と保冷剤の準備を始めた。最初に茶髪の方が「6個だから~」と漏らしたのでこちらも準備がしやすく、ありがたい。

「森ちゃんは1回このロールケーキ食べてみたいって言ってたからこれで・・・あとは、ハセガワ?ハセガワ何好きかなぁ」

ボブヘアの方が決めかねていると、茶髪の方は割とドライな感じで答える。

「あー、わかんない。適当で良くない?」

「でも適当に選んでそれ残ったらなんか嫌じゃん」

話し声が大きいので、嫌でも耳に入る。茶髪の彼女、ハセガワという子の扱いが少し雑ではないか。私は端の方に並べてあるマカロンの在庫をチェックするふりをして、頭の中でイメージした。

モンブランが2つと、ガトーショコラ、フルーツのタルトに、イチゴの乗ったロールケーキ。

もう1つくらいフルーツがふんだんに乗ったケーキを選ぶと、箱を開けた時の華やかさはあるかもしれない。しかしハセガワさんの好みはわからない。男か女かも分からないので、おすすめもしづらい。シュークリームのような無難なものの方が良いのかもしれない。

「あのー、お姉さん、ちょっと聞いても良いですか?」

ボブヘアに呼ばれて我に返る。いつの間にか彼女たちの仲間に加わったかのように真剣にハセガワ用のケーキを選んでいた自分に気づき、なんだか照れくさくなった。

「はい、どうかされましたか?」

「6個買うんですけど、5個は決まってて。あと1個女の子に人気なの、どれがいいかなぁって・・・」

あまり語彙力のなさそうな聞き方だけれど、先程から丸聞こえなので難なく伝わる。そしてハセガワは女子だという有力情報もゲットできた。

「今の時期はチョコミントのタルトが人気ですけど・・・苦手な方もいらっしゃるので・・・」

店長にはとにかく売れと言われているチョコミントタルトの名前は、一度は口にしないといけないけれど私は嫌だった。何故なら私が大のチョコミント嫌いだからだ。あんな歯磨き粉みたいな味を好んで食べる人間がこの世に多くいるなんて信じがたい。しかし、私が山盛りのパクチーを食べている時に彼氏も全く同じ気持ちなのだろうと考える。「蓼食う虫も好き好き」とはよく言ったものだ。

「ハセガワどうかなぁ、チョコミント」

「わかんないや・・・無難系だと何が良いですかね?」

ですよね、と言いたいところをぐっと堪えて、レモンケーキとティラミスを提案してみる。「どっちもおいしそうなんだよねぇ」等と言いながら、本当にそう思っているのか疑わしいくらいに眉間に皺を寄せてショーケースを睨んでいる。きっとこれは真剣に悩んでいるのだろう。

「ていうか、電話して聞けば良くない?」

茶髪は本当にドライな性格なようだ。

「えー、サプライズで持って行きたいじゃん」

ボブヘアはどうやらサプライズでケーキを持っていくらしい。確かにおもてなしのケーキを選ぶのに相手に電話で聞くのはナンセンスだと思う。また長いシンキングタイムが始まりそうだと思ったところで、茶髪と目が合った。

「ほら、お姉さんも忙しいんだから早く決めよ!」

気遣いのできる良い子だけれど、店のケーキを買って行って失敗したと思われたくないし、いかんせん暇なので全く問題はない。

「お気になさらず、ゆっくり選んで下さい。」

「お姉さんだったら、どうやって選びますか?」

ボブヘアは助けを求めるような目でこちらを見た。多分この子は賢くはないけれど、良い子なのだと思う。たかだか友人との何かの集まりに持っていくケーキで、みんなの好みに寄り添おうとさっきから必死ではないか。こういう子は嫌いじゃない。

「今日は何かの集まりですか?」

「えっと、友達と普通にそこのカラオケに…誕生日近い子がいるから、サプライズしたいなって。あ、でもそれはもう選んでて。」

本当に語彙力が危ういと思いながら頭の中で整理した。近くに持ち込み可能なカラオケボックスがある。保冷剤はいらない距離だが、冷蔵庫を借りられるとは思わないのでつけておくとしよう。それはまあいい。これから向かう集まりの中に誕生日が近い子がいて、ケーキをサプライズで持っていく。しかしハセガワの誕生日では、ない。

「1人、好みわかんなくて。お姉さんならどうやって選ぶかなって思って」

ボブヘアが真剣な目をしている横で、茶髪は目で私にすみませんと言いながらも興味津々のようだ。

「私なら…」

2人の視線が集中する。

「自分が食べたいのを6個買っちゃいます」

2人はきょとんとしている。え?え?と漏らしながらショーケースと私を交互に見る。

「自分用に6種類ケーキを買う感覚で選びます。そして持って行った時に、『自分が食べたいのしか買ってきてないから、私は残ったのでいいよ』って言っちゃいますね。」

正確に言うと、彼女たちのように一生懸命相手の為を思って選んだケーキが最後に残されても、いかにも自分がその1つを食べたかったように装って食べてしまう。昔から、誰に似たのか私はそういう人間だった。気が小さく、自己主張が苦手な私が精一杯大人の対応をしようとして生まれたのが、この作戦だ。ボブヘアの方が「なるほど」と小さくつぶやきながら頷いている。こういうわかりやすいリアクションの子は、接客していても楽しい。

「確かに、先輩モンブラン好きだけど、今日モンブランの気分かなんてわかんないもんね。うちもチョコじゃない気分の時あるし。それに、なんか大人な感じ。『どれ選んでもいいよ』ってうちも言いたい」

ボブヘアは、腑に落ちたのだろう。眉間の皺がなくなった。

「じゃぁ私たちが好きなケーキ6個買えばいいんじゃない?わ、それも楽しい!ちょっと選び直そう」

結局、最初のラインナップから残ったのはガトーショコラとモンブラン1つだけ。あとはレモンタルトとラズベリームース、チョコチップのシュークリームと、ミルクレープになった。フルーツタルトとイチゴのロールケーキは、2人には採用されなかったようだ。

「なんかお姉さん、あれみたい。レ点?」

箱詰めをしているとボブヘアに言われた。最後が疑問系ではあるが、私にはよく意味がわからない。

「レ点…漢文で出てくるレ点のことですか?」

「ちょっとユキ、何言ってんの。お姉さん困ってるじゃん」

ボブヘアはユキというらしい。私も言っている意味がわからず、きょとんとしてしまった。

「あ、あの、良い意味で!」

いや全くわからない。私は吹き出しそうになってしまった。

「なんか、お先にどうぞってすんなりなれるみたいな。ね、マキ、わかんない?」

とうとう茶髪の名前まで把握し、今日のメンバーは「先輩」以外コンプリートしてしまった。マキちゃんは苦笑いしながら頷いている。

「すみませんお姉さん、この子おバカで。要は…レ点って後の文字先に読むんです…って、知ってますよね。お姉さんは自分が後回しになるシナリオちゃんと自分で作れてて、その奥ゆかしさ…みたいなのでしょ?ユキ」

「そう、それ!流石マキ!」

「でもそれ言うなら、レ点じゃなくてその前の文字だよね」

「確かに!」

2人してショーケースの前で爆笑している。私は理数系だったけれど、言っている意味はわかる。返り点に例えるならば一二三点や甲乙丙点のように、いくつかある中で最後に読まれるようなものもある。それでも私には、レ点という言葉が妙にストンと落ちてきた。

「お誕生日のプレートと、ろうそく1本だけ入れておきますね」

じわじわと沁みる「レ点の前」という言葉は、私の気の小ささを肯定してくれるようで嬉しかった。にやけてしまいそうなのを堪えて、会計を済ませた。

「絶対また買いにきます!」

ユキちゃんがキラキラとした目を向けてくる。2人は満面の笑みで「ありがとうございました」と言って去って行った。私も深々とお辞儀をして復唱し、「またお待ちしています」と付け足す。マキちゃんは小声でイタズラっぽく笑いながら言った。

「私、チョコミント大好きなんで、絶対近いうちに買いに来ます」

どうやらマキちゃんも私と同じタイプのようだ。チョコミントではなく、人間性の話として。

1番好きなものは、独り占めしたいよね。

私もイタズラっぽい笑みで返した。今日は、ティラミスを買って帰ろう。

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