”属性の近さ”と”嫉妬”が人を理解する鍵に

大学の先輩がプロ野球の監督に就任したニュースをみて、「同世代はそんなポジションを任されるのか」となぜか、ダメージを受けた。

なぜか”と表現したのは、そもそも僕は部活などで(空手部だった)、本気で野球に取り組んだことがない。だから、当然プロ野球選手になれないし、プロ野球の監督にもなれるはずもない。

しかも、先輩といっても、大学が一緒という共通点しかないし在学期間もギリギリ被ってない。にもかかわらず何となく、ダメージを受けた理由を考えた。

言語化すると、「属性が近い人の、成功(にみえるもの)に対して、『自分にもそんな世界線があったのではないか』と夢想してしまうことでの嫉妬や後悔」が近い。

この場合の属性は、学校が一緒だったや、前職の同僚など、所属した組織や世代と言い換えられるかもしれない。

実際思い返すと、高校の先輩(1学年上)が上場企業の役員だったり、前職の年が近い同僚が上場したりした際にも同じような感覚を覚えた。逆に、ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんみたいな、レジェンド級の人たちに同じような感覚を覚えたことはない。

これらを踏まえると、前述の表現のような言語化にたどり着く。「もしかしたら、何かが違えばそんな未来があったのかも?」が羨ましいのだろう。

この気付きは、実はビジネスに生かせるのかもしれない。
仮説ではあるが、そもそも共通点が少ない人に対しては嫉妬が湧きづらいのだろう。そして、共通点のなかでも属性の近さは大きい部分なのだろう。ネットミームになっている「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」に通ずることだ。

何が、ビジネスに生かせるかというと、人がどんなときに感情が動くかの理解に繋がることだ。

同じ(もしくは近しい)レベルの他者を見て感情が動くことがわかっていれば、マーケティング施策などを考える際に意図的にそういうものを持ってくることができるかもしれない。また、そういう「感情の動きをするよね」と理解しているだけで、感情の動きに支配されない意思決定に繋がるかもしれない。

思いつきをダラダラと文章にしてしまったが、感情の動きの起点に注目することは、他者、そして自分の理解につながり、“人”の理解に繋がる行為だと思える。

text: Takehiro Nagi

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