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木村花さんの死を受けて。 (これからを生きる人が考えなければならないこと)

こんにちは、Teeです。いつも読んでくださりありがとうございます。


知っている方も多いと思いますが、5/23日(金)に、女子プロレスラーの木村花さん (22) が、亡くなられました。

死因は公表されていませんが、最後のインスタの投稿や、以前からSNSで誹謗中傷されていたことなどから、自害であることが噂されているようです。

僕は、この方を全く存じ上げないんですが、プロレス業だけでなく、芸能活動も行っていたそうで、生前はNetflixの人気番組『テラスハウス』に出演中だったとのことです。



【木村さんのInstagram】


そもそも、どうして木村さんは誹謗中傷を受けたのでしょうか。

いろいろ調べてみました。


事の発端は、テラスハウス第38話で起こった『コスチューム事件』。

ある日、木村さんは「命の次に大事」だと語る、プロレスの衣装(噂によると10万以上するもの)をメンバー共有の洗濯機にいれっぱなしにします。男子メンバーの快さんは、それに気づかず自分の洗濯物と一緒に木村さんのプロレス衣装を洗濯から乾燥まで行ってしまい、結果木村さんの衣装は縮んで着れないような状態に。それを知った木村さんは、快さんに強い口調で、怒鳴り散らし、放送事故レベルの修羅場になってしまいます。


【詳しくはこちら】


そして、快さんは責任を感じ、テラスハウスを卒業してしまいます。

この出来事をきっかけに、木村さんはネット民から壮絶なバッシングを受けることになります。

「お前が卒業しろよ」,「はやく消えろ」,「テラハを汚すな」,「テレビ史上1番気色悪い」「お願いです、死んで下さい」などなど、罵詈雑言の嵐。(今では、そのほとんどが削除されてます)


ザックリですが、こんな感じの出来事が原因だったようです


僕は、ニュースで見るまで全く知らなかったんですが、SNSで動画が拡散された事で、テラスハウスを知らない人、木村さんを知らない人も、みんながやっているからと一緒になって叩き、放送日から1ヶ月以上経っても止むことなく、毎日何百件ものアンチコメントが送られてきていたそうです。



これについて、僕、個人の意見を話そうと思います。



《芸能人なんだから、アンチいて当たり前だろ》という意見。


『芸能人・有名人は叩かれて当然』。そもそも、この風潮はいつ生まれたんでしょうか。なぜ、芸能人・有名人というだけで戦うフィールドに立っている前提にされるんでしょうか。誰が、いつ、芸能人が神様だと決めたんでしょうか。

サラリーマンやアルバイトと比べれば、仕事上は、神様的な位置にいるかもしれません。ですが、カメラが止まれば僕達と何一つ変わらない、一人の人間に戻るんです。僕達と同じ心を持つ普通の人間なんです。

どの国籍であろうが、どの立場にいようが、言葉の暴力に対して本当なら戦う場所も戦う必要もないんです。なのになぜ、有名になるからといって、言葉の暴力を受ける覚悟が必要なんでしょうか。

《芸能人=メンタル強い》って思っている人に、もう一度考え直して欲しいです。心はみんな一緒だってことを。



そして、今回の件、もちろんSNSという場で誹謗中傷するコメントを送った奴らは最低で人間のクズだと思います。

しかし、それよりも気になったのが、亡くなった後に、木村さんのSNSに「私はずっと味方でした」といったニュアンスのコメントをしている人たちがたくさんいた、ということです。

今になって一斉にアンチに対して強気のコメントをしている人が大勢いますが、果たして、その人たちは木村さんが亡くなる前もアンチに対して同じようなコメントをして、木村さんを守ろうとしていたのでしょうか。木村さんと一緒になって戦っていたのでしょうか。本気で守ってあげようと思っていたんでしょうか。

きっと、見て見ぬふりしてた人が多いと思います。


「ここで、自分が木村さんの味方をすれば、標的が自分になるかもしれない」と言う恐怖。「だから、コメントするのは控えておこう」と、結局、みんな自分の立場が一番大事。

木村さんは何万という攻撃を一人で受けているのに、自分はその一つを止めることさえ出来ない。これこそが、人間の弱いところです。


木村さんに凄いアンチ付いてるな。大変そうだな。でも、自分の立場を守りたいからコメントするのはやめよう。自分は関係ない。自分は何も見ていない。だから勝手にどーぞ。で、木村さんが亡くなって、立場が逆転したら・・・?

「私はずっと守っていたけど、残念な結果になってしまいました。アンチしてた奴ら許さない!!!」←これってどうですか?

果たして、それでも誹謗中傷していた人だけが悪いって言えますか?目の前で人が痛めつけられるのを眺めていた人に罪はないって言えますか?

「いなくなってからでは、遅い」って言いますが、いなくなってからどれだけ守っても、もう遅いんですよね。あの時、守ってあげられたら、もしかしたら結果が変わっていたかも知れない。そうやって、思っても遅いんです。




世の中で人類だけが持つ特殊能力、それが『言葉』です。

言語に違いがあっても、一つだけ世界共通なことがあります。それは、言葉は使い方によって、刃物よりも危険な凶器になり得るということです。何気なく放った一言でも、心に一生残る深い傷を作ってしまうほどの、凶器になるんです。

そして人間は、誰一人、自分の「心」を自分自身で守る盾を持っていません。つまり、人の心はいつでも無防備な状態なんです。言ってしまえば、いつでも他人を傷つけることが出来るんです。

もちろん、誰だって凶器持つことはあると思います。
きっと僕もその凶器を持ってるだろうし、いくらでも作り出すことはできます。でも、投げはしません。

だって、投げてたところでその人に傷を与えるだけで、何も良いことがないから。誰も幸せにならないから。

「傷つけられて、人は強くなる。」という言葉がありますが、そもそも誰も傷つかない世界であることが一番だと思いませんか?



今の世界はインターネットやSNSを通して、凶器化した言葉を可視化することが簡単にできてしまいます。便利になっていくと同時に、こんな風に悪意に満ちている世の中であってほしくないのは、みんなが思っていることです。


これから産まれてくる子供たちが、当たり前のように傷ついた人や戦っている人を助けられるような世の中にしていかなければなりません。その未来を作ることが出来るのは今を生きている僕達だけです。


『言葉』は自分の大切な人たちを幸せにしたり感動させたりするように使いましょう。助けを求めている人がいたら、温かい言葉をかけてあげましょう。知らない人にも思いやりが詰まった言葉を送れるような人間になりましょう。自分自身が持っている言葉をもっと大切に大事に丁寧に使いましょう。


ダイヤモンドの鎧を着れば外見はいくらでも守れます。でも、心はどんなに強い鎧を着ても守れません。だからこそ、こういう時に言葉でそっと寄り添うことが大切なんだと思います。

言葉という名の凶器を言葉という名の盾で守ることは不可能なのでしょうか?少なくとも僕はそうは思いません。人の言葉は人を救う力を持っていると思います。


自分たちで作った世界なんだから、自分たちで変えていけると思います。


みんなで支えあって生きられる世界にしましょう。





最後に、

木村花さん。心よりご冥福をお祈りいたします。







最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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