レシートの写真

「まずは毎日の食事を記録するつもりで撮って、段々と楽しくなってきて。それから、毎日の小さなラッキーを撮るようにしてる。今のは、そのぶん。チャイティを飲むのはすごく久しぶりだから、飲めてラッキーの一枚。昨日は猫を見つけたラッキー。その前は会計が千三百円ぴったりのラッキーで、レシートを撮っちゃった。部活でやっていた写真とは違うけど、楽しいんだよ」
ネコはまだわかる、かわいいから。そうか、レシートを撮るのか。
でもいいな。千三百円でぴったりだったら、なるほどプチラッキーだ。私なら一時間後には思い出すこともできなくなっていると思う。たしかにプチラッキーに出会ったのに、眠りにつく頃にはその一日を何もなかった日だと嘆くだろう。一枚の写真があれば明日でも、一週間後でも、一年後でも、振り返って何もなかった日にはならない。なにも起こらなかった日なんてない。小さなイベントを見逃しているだけだ。
気になったけれど、写真フォルダはすぐに見返せなかった。椿の前でひとりで勝手にショックを受けてしまいそうだったから。この一か月で何を撮ったか全然思い出せない。どこへ行った? 何を食べた? 誰に会った? 一か月が何もなかったかもしれない不安で、手汗がじんわり湧いてくる。
帰りの京浜東北線でひとり、写真フォルダを開くと、仕事関係の写真とツイッターのスクショだけだった。縋る思いで、二年前の写真まで指を滑らせると彼氏と行ったデート、ランチ、ツーショットが画面に映った。道端の名前も知らない花もフォルダの中にはあった。