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プラトーン

2年前、定年を迎えてこれからどうしようか
そう思ったとき
「自分の好きな映画のシーンを語ろう」という
ワークをやったことがある。

その時、僕が語ったのは
「プラトーン(ベトナム戦争の小隊を描いたもの)」
のラストシーン
ラストシーンで、小隊のほとんどが戦死してしまって
主人公も大けがをおって、後方へヘリコプターで運ばれる
ヘリコプターの窓からふと見ると
唯一、生き残った戦友がひとり、
主人公へむかってターザンのまねをする
(実物は違ったかもしれない、けれど僕はそう記憶している)

ターザンのまね
片手に銃、もう一方の片手で自分の胸をどんどんとたたく
『お前はよくやった! 俺なら大丈夫だ』
そんなメッセージ
(実物は違ったかもしれない、
 けれど、なぜか僕はそうだと想っている)

それは、その時、僕が人から言ってほしかったメッセージ
誰かから、そう言ってほしかった・・
もっともっとたくさんの人から
できれば戦友と思っているような人から
そう言ってほしかった・・

定年退職の日、職場のみんなから
くす玉が割れたり
拍手をしてもらったり、そう送り出してほしかった・・
(実際、その日には花束をいただいた)
それこそが自分の「花道」だと
定年が、そんな「花道」になることを想って
寂しさを感じながら
そんなシーンを想い出したわけじゃない

ターザンのまねをする戦友
自分とは違う「他者」だけれど
そのシーンで自分にメッセージをくれたのは
自分の中の「他者」
自分の中に蓄積され、自分の中で
自分はそうだと思っている「他者」
自分の中の「他者」から
(これからもそう想っていきたい)
自分に対してのメッセージ
一番言ってほしい「これからの自分」へのメッセージ

そうだったのかもしれない
ごく最近、ある人とお話していて
そんなことを想い出し直すことができました
自分の「これから」を、いま想っています
ありがとうございました

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