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今に続くもの出会い  てんかんと仕事


精神疾患における仕事の内容といえば企業側はかなり気を遣うものですし、それは自分も重々承知してます。

だからこそしっかりと病気をてんかんというのをしっかりと伝え、お互いにデメリットのないものにしたいと考えていた。

今の会社には30歳になって中途採用での入社。

面接までいけば自分は絶対に受かるというわけわかんない自信がありました

雇用形態は障がい者雇用

個人的に自分の中で人生のライフプランを持っていました。30歳になるまで自分の好きな仕事をやり30歳になる前に一生の仕事に就くということ。それがこの今の仕事になります。

一生のしごとに就くに当たってもちろんですがまずやめない事。続ける事を当面のモチベーションとして続けました。

ですがいろんな会社あります。

いじめ?もちろん あります。ですがそんなの気にしてる場合じゃないんでっていうかそんなので折れる自分ではなかったので。

サッカーのレフェリーで培われたメンタリティは格別でした。何年もいじめはありましたがまぁ別にって感じ。会社の人間は違って見えました。なかには味方も多く助けてくれた人も多いです。

それに販売職で結果をだした自信はどこでやっても通用しました。


3か月後

障がい者雇用 ➡ 一般雇用へ レベルアップというか雇用契約を変えようという申し出がありとてもうれしかったです。

短い期間での結果がでたというより自分のやったこと、求められていることがハードルがかなり低めに設定されていてまぁこんなもんかなといった感じです。

それだけ障がい者における仕事のウェイトは低いものだなとかんじました。その後も発作でたびたび休むこともありましたが理解のある上司と理解に苦しむ上司ははっきりしてました。

ここでも結構悩みましたね。

なんでここまで違うのかと。なんでこうゆう話を引き継ぎしてないのか不思議でした。

自分の職場は製造業。要は工場です。その最終検査出荷物流でした。

300名くらいの社員がいるのでいろいろな社員がくるなか荷物を送ることや配送屋さんとのハブ役になったり、わけもわからない問い合わせにこたえたり、まぁいろいろこなしました。

もうすぐ10年かなぁ普通なら異動とかあるのに全く異動話もなく、(隠れたオファーはあるみたいだけどね)やってこれて嬉しいです。

接客業や販売職をやっていたのでオープンな性格がよかったのかもしれないです。

あとは自分は会社のほかにレフェリーもやっていてこれだ!っていうのがあるのでそれもよかったかなと思います。

☆月曜日~金曜日 仕事
☆水曜日or木曜日 トレーニング
☆週末      試合

ほぼこのルーテインですしね。

違う話になりますが今日noteのイベントでyoutube配信みてていろいろお話聞かせてもらうなかでとっても勉強になりました。
ぜひまた参加して行きたいなと思います。

少しでもこのお話にいいなとおもったらスキ、フォローお待ちしています。
てんかんのような病が苦労しない充実した世界になりますように。


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