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今に続くものへの出会い       ☆サーフィン→サッカーレフェリー編

好きなものをやめる選択はできますか?

今回はサーフィンを5年間続けていましたが事故でICUに入りこれはマズいぞということで泣く泣くやめたサーフィン。 

これには本当に悩みました。本当にやめるべきか、はたまたつづけるのか。めちゃくちゃでした。結構仕事も手につかずでしたしてんかん発作もよくでましたし。

当たり前っちゃ当たり前。ストレス過多なんだから

兄によく相談もしました。よくないことを言って(要はネガティブな事)めちゃくちゃ心配させたり励ましてもらいました。なにより妻になる彼女の涙を見たときもう辞めようと決心しました。

その時彼女がいなかったら自分はたぶん自分だけの人生を生きて今の幸せを手に入れてなかったと思いますし、このようにほかの人にてんかんに対して偏見をなくそうとかなんて思わなかったと思う。

好きな人ができ、愛する人ができ、家族ができたおかげでこのようなことをしようとおもったのかもしれません。家族の大事さをサーフィンには教えてもらいました。

でも今でも思います。あ~海入りたい。海水浴でもいいからはいりたい。

サーフィンは自然のこわさと病気との付き合い方、家族の大切さ、いろいろ学びました。

これを読んでる人はサーファー多いかもしれません。突然サーフィンをやめなければならないとなった時、やめれます?自分はすぐに決断できませんでした。

好きなことやめるって本当に辛いです

そこからのサッカーへの道

でも運動はずっとやっていたのでなにかやりたいという気持ちとサッカーはサーフィンと並行してやっていました。社会人の地域の市リーグチームですが誘われてやってました。

そこで大きな出会いがありました。

毎年、市民体育大会というのがありそこでは地元のみんなで出場して和気あいあいと楽しんでましたがある試合では乱闘が起きたり、ある試合では大けがをしたりする選手がいました。

もちろんそんな試合だけでなくきちんとした試合もありました。

そんな試合には必ず素晴らしい審判の方がしっかりと反則をとり、試合をコントロールしていました。

自分も高校時代のおわりこのように試合をコントロールしていたなぁと思いだしていた矢先チームが負け、審判をお願いされました。

サッカーにおける審判員は主審1名、副審2名です。

主審やったことあったし体力には自信あったので主審やらせてくれとお願いしました。

試合がおわり、なにごともなくおわり、本部運営に結果報告をしにいった矢先ある方が

『明日もひまならやってみないか?』

といってくれました。自分は即答でわかりました。来ます。と。この時22歳か23歳かな。もううっすらとしか覚えてませんがしっかりお誘いうけたのは覚えてます。

翌日は1日で3試合~4試合ほどやらせていただきジュースやお弁当のほかお小遣いまで。うれしかったですが真夏のこの70分ゲームを3本か4本は高校時代の部活のようでした(笑)

自分の好きなことでお金がもらえるというこの感覚

誘われてきたものの続けてやれたのはここでの指導があったからです。あとから知ったのですが自分を審判の世界に誘った方はちょっと県内のインストラクターでは有名でした。

それは厳しいということでめちゃくちゃ有名。でもその市民総体が終わったあとすぐに言われました。

審判でやればいいとこまでいけるよ

当時は自分がどこまでやれるかわかりませんでしたがすきなことでお金がもらえるということ、てんかんに対して競技者はできないだろうというところから見えた希望の光になりました。

それからはもうがむしゃらにやりまくりました。

毎年の恒例行事になった市民総体での審判は今では自分が指導をする側と運営をする側に回ってます。もう今では乱闘などは起きませんがそれも自分を含めしっかりとした審判員が育ち仕組みがしっかりしてきた証だと思います。

審判員ほどやりたがらないものはないと思います。

そこをYesというかNoというかで人生は大きく変わってきます。Yesといって結果オーライじゃないかなと思います。

次回は審判で得たメンタル、ココロの部分を書いていきたいと思います。

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