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わたしが小学生の時に遭遇した災難

 わたしは小学生の時いろんな災難に遭遇しました。その始まりが小学校三年生の時の水害です。

小学三年生の夏

 その年の初夏、中国地方を襲った豪雨は、当時小学校三年生だった私が住む広島県北の小都市にも、それまで体験したことの無い雨量をもたらしました。

 豪雨で休校になったため家でテレビを観ていた私、豪雨関連のニュースに自分の住んでいる場所の地名が出てくるのが、ちょっと不思議な感じでした。

 ニュースでは「水位が危険な状況になっている」という情報も流れていたとは思うのですが、小学生の私には理解できず、ニュースに地元登場休校という非日常的な感覚に高揚感を感じて1日を過ごしたのでした。

 一日中降り続いた雨も、日が暮れて少し小降りになりました。いつもと同じように晩ご飯を食べ終え、いつもと同じように音楽好きの祖母とテレビの音楽番組をみて、日常が戻ってきたことに安心した私はうとうと眠りについたのでした。

 深夜、自分を呼ぶ声に眠い目を開けると、そこには母がいました

「起きい、二階へ上がるで」

の言葉に従い二階へ、階段を登りながら玄関の土間を振り返ると、そこは玄関の隙間から入ってきた水で池のような状態に

「こないだ買ったわしのズックが水流で渦巻いとる」

と自分のズックの行く末を案じながら、二階へと向かったのでした。

後に振り返ると、これが小学生の私に、日常との別れを感じさせた出来事だったように思います。

 叩き起こされたのと、普段物置状態だった二階の部屋でみんなで過ごすという非日常的な状況にすっかり眠気の覚めた私、薄暗い二階の部屋での長い夜の始まりでした。

 水位の様子が気になる兄と私は、さっき上ってきた階段を見に行きました。すでに中段くらいまで水に浸かっていて残っているのは8段。幸いなことに、そこから水嵩が増している様子は無く落ち着いているように見えます。

 しかし、しばらくしてまた確認に行くと、さっきより段数が減っています。ゆっくりと、そして確実に水位は上がってきていたのです。

 定期監視が必要と判断した私たち兄弟はその夜「階段監視係」となり、定期的に段数を確認して大人に伝えたのでした。

この夜、普段怖がりだった私が怖いという感覚を持たなかったのは、日常から離れた非常事態に怖いという感覚がシャットアウトされていたのかもしれません。もしかしたら「階段監視係」という役目を与えて、子供の緊張を和らげようとる大人の配慮だったのかもしれません。

 結果的に残り3段となった時点で水位は安定し、その均衡は夜明けまで続きました。夜が明けてしばらくするとやっと水が引いていきました。

 水が引いて一階に降りて衝撃的だったのは、部屋が泥だらけになっていたことです。水さえ引けば普段の生活がすぐ戻ってくると思っていた私は、その変わりように驚き、これは大変な事だと実感したのでした。

ここから普段の生活を取り戻すまでの経験を通じて、災難は遭遇してる時も大変だが、そこから日常に戻るまでの方がさらに大変だというのを実感した小学生の私でした。

 その年の夏を親戚の家に疎開して過ごした私に、普通の日々が戻ってきたのはセミの鳴き声が慌しくなる晩夏でした。

 晩夏の夜、技術員の訪問修理で見事に復活したテレビのブラウン管から流れる昭和歌謡を祖母と聴きながら、やっと戻ってきた日常を噛み締めたのでした。

 その日常が、次の夏に消滅することも知らず。。。 

Photo by Chris Gallagher on Unsplash

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