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人生は矢印を創失させる作業

あの日みていた夢がいつの間にかなくなった。この経験は誰にでもあると思います。例えば、私が小学生のころはスポーツ選手になりたい人が多かったです。しかし、実際にスポーツ選手になった人は1人もいません。

そして、夢やなりたい像というものは時が経つにつれて変化していきます。さらに、より現実的なものになっていくことが多いですよね。つまり、私は下記のように変遷していくと思っています。

幼少期

まずは幼少期ですね。このころは夢が多数あるでしょう。しかし、どれも曖昧なものであり、実際にどのような職種であるのか、どのようになれば良いのかは明確でありません。

そして、このころは「無限の可能性がある」とよく言われますよね。しかし、私はこれは間違いであって、実際にはほとんどの可能性は既に失われていると思います。スポーツ選手であれば先天的な身体能力が必要不可欠ですし、他の職種も適性といったものは人格が形成される幼少期に多少は決まっているでしょう。

つまり、曖昧なことからリーチできる夢がたくさんあるように見える。これが幼少期だと思います。

高校生・大学生など

高校生・大学生になるとある程度は自分が分かります。そして、このことから曖昧性は消えつつ、目標に向かってどのようにリーチすれば良いのかが何となく分かるようになります。

しかし、このころは矢印は完璧でないでしょう。おそらく、自分のなりたい像は複数のものがあり、曖昧性もある程度保有しているでしょう。

社会人

社会人になると矢印が明確になります。明確になるというより1つの矢印しか見ることができなくなるのでしょう。

そして、このサイクルは夢だけでなく、中途目標も本サイクルによって成り立っていると思います。目標を立てた時点では明確ではないが、進めるごとに矢印が明確になっていく。。。そして、第一線で活躍している方はこのサイクルを回すのが早いのではないでしょうか。いわゆるPDCAですね。


書いてみると当り前のことですが、意外と矢印が多数あると考えている人が多いと感じます。実際には、まったく取り組んでいない事柄は図の煙のような形をしているのではないでしょうか。つまり、夢や目標にすらなっていないと。

考えとして「明確にしていく=細分化」というものもあるのですが、こちらもいずれ記事にしたいと思います。


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