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ぜんぶ混ざろうぜ。


今日また不思議な体験をしました。


10ヶ月ほど前にも似たような体験をしているので、その時の記録を見ていただくと、何かしらの共通点に気づくかもしれません。



僕は健康のために週2日ほどジムに通っていて、そこのジムは珍しいことに天然温泉が完備されています。

しかもお湯に塩が含まれていて、邪気払いや浄化の意味でもその風呂を愛用させてもらってます。



今日も運動後にいつものように風呂につかっていました。

運動後の疲労感のままお風呂に入る時って本当に気持ちいいんですよね。

息を大きく吐くたびに体の中の”氣”がお湯に溶け出して行くような感覚。

何回か大きく息を吐いていると身体の中身はとうとうカラッポになって、まるで体が宇宙空間を漂っているような感覚になるんです。

思考も身体もカラッポ。

お湯に漂ってすべてを委ねているだけ。

そんなフロー状態を楽しんでいました。(風呂だけに。。)



そうこうしていると、10ヶ月前と同じようにまた”声”が聞こえてきました。



「ぜんぶ混ざろうぜ。」

と。



『ん?なんか聞こえたか?』
と、我に返ってみてもやっぱり聞こえてきます。



「ぜんぶ混ざろうぜ。」



なんども繰り返し聞こえます。



「ぜんぶ混ざろうぜ。」
「ぜんぶ混ざろうぜ。」
「ぜんぶ混ざろうぜ。」



よくよく聞いてみると、「聞こえてくる」というよりは「自分で言っている」という感覚の方が正確でしょうか。

自分が”何者か”に向かってリクエストをしているんです。



「ぜんぶ混ざろうぜ。」
と。



何度も何度も僕自身がそう言っています。

自分にはそれを言う思考も意図もないのに、意思が勝手に言うんです。





思考も感情も全部混ざろうぜ。

視覚も聴覚も嗅覚も触覚も味覚も全部だ。

身体の細胞も髪の毛も爪も。

過去も現在も未来もぜんぶ。

俺とお前、ぜんぶ混ざろう。



それを聞いて(言って)理解しました。

『あぁ、混ざろう。』
と僕はこたえる。
(このとき何となく契りが交わされた感覚があった。)




自分のすべてが”この世”と融和し始めた。

自分をいま取り囲んでいる空間と混ざり合う。

自分のまわりの空間は、さらにそのまわりの空間と混ざる。

そうやってどんどん拡がっていき、やがて”すべて”と混ざり合う。

分離がなくなる。

自らを分けた「自分」ではなくなる。

すべてを委ねる。



『あぁ、自分を守ろうとする必要なんてなかったんだな。』と感覚的にわかった。

守ろうとするほどに自ら身体と心を硬く強張らせていたんだなと。

ただ委ねるだけ。

委ねるほどにベストな流れに乗る。

ちょうどいい速さで、ベストな方向へ。



『もう大丈夫なんだな。もうすべてが大丈夫。』

ネガティブもないし、悲壮感もないし、ポジティブもない。

絶対的安心感と過不足ゼロの充足感のもと。



今までもこの流れの中にずっとい続けていたらしい。

自分が勝手に焦って、早めようとしたり遅れていると感じていただけだったらしんだ。



人生は、

すべての人は、

すべてのものは、

いつもベストな流れで動いているだけだった。

”当たり前”の秩序の中にいるだけだった。



川がゆるやかに流れるように。

とても優しくて、とても穏やかで、とても秩序的だ。


だからもう大丈夫だ。

もう安心していい。

もうすべてが大丈夫なんだ。

僕もあなたも、

もう大丈夫。



安心して眠ろう。

良い夜を。

穏やかな夜を🌙



テンジン

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