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住宅営業マン、家を出る。

住宅営業マンになると、身近な先輩から必ず言われるのが、「お前、ちゃんと家の家事手伝ってるか?」というセリフ。

家事を体験することで、実際のお客様の家を提案するときに、実体験に基づいた提案や気付きを与えられるという意図です。

(絶対やってなさそうな先輩に言われるとイラッとするやつです。笑)

今でこそ、結婚し、子育てをして、自社で家を建てている私なので、いろんな体験談をお客様とお話しできるようになりました。

二年目の冬、私は家の家事を手伝うこともなく、週3でバーに通い、〆のラーメンを食べ、タクシーで帰る日常でした。

普段優しい先輩、真顔で詰め寄る

展示場の事務所で先輩と二人で来場を待ちながら事務作業をしていました。

普段はバカ話をしながらまったりと過ごしていましたが、急に真顔になる先輩。

先輩「お前、今期何棟売った?」

私「今、3棟です。」

先輩「悪くはないけど、まー売れてはないよな。同期でいちばん売れてるのは?」

私「6棟です。」

先輩「それくらい売れてたら立派だよなぁ。一人前の戦力だよな。」

私「はい、正直羨ましいです。。。」

二年目で9ヶ月で3棟というのは、同期でみたら真ん中らへん。悪くはないけど、今後住宅営業マンとしてやっていけるのかを考えると、もう少し上積みしていきたいところでした。

先輩「お前はストイックさがないんだよな。全然」


先輩、日曜の午後にコーヒー飲みながらグサグサ若手の心を切り裂く。

当時の私は実家暮らしで、月三万円を実家に納めて、残りのお金はすべて自由になる環境でした。

伊勢丹メンズ館に通い、一足5万円の革靴を買ってみたり、ポールスチュワートのスーツをセミオーダーしてみたり。

週3の飲む日も毎回一万円以上使っているような、今の僕がとても羨ましい贅沢三昧でした。

先輩「お前、今の生活に満足しちゃってるから、もっと金がほしいとか、偉くなりたいとか、何にもないんだよな。」

先輩「売れてるA君とかはさ、ロレックスがほしいから冬のボーナスいくらほしいとか言ってるじゃん。お前物欲とかないじゃん。」

先輩「売れる必要がないし、お前も強く売りたいって思わないから、このままずっと売れないんじゃね?」

この時点でヒットポイントゼロでした。

聞かれれば「トップセールスになりたい!」と答えていたものの、本当に売れたいか?と言われると、当時の僕は売れたところで忙しくなるだけで、特に売れたいというモチベーションがありませんでした。


突如突きつけられた二択

このままでは腐ってしまう、と心から先輩は心配してくれているようでした。

お金も地位も求めていないハンパな私に先輩が突きつけます。

先輩「来月から、一人暮らしするか、財形貯蓄毎月10万円積み立てるか、今すぐ選んで。金がなくなれば、稼ぐしかないからお前も必死になるだろ。」

いきなりの二択。

私はパニックでしたが、二つの考えが生まれました。

(一人暮らしか。。。ホームパーティーとかしまくったら楽しいんじゃね?)

(しかも、バーの近くに住んだら、〆のラーメンとタクシーの金が浮くんじゃね!?オトク!!)

私「先輩、僕、一人暮らしします!!」


素直さだけはウリ

あまりのバカみたいな理由による即決に、先輩もひいていたようですが、その日の午後はそのまま物件検索。

職場とバーの少し先の物件。

家賃は月収の1/3程度。

パーティーがしやすいように、一人暮らしではひろめの1K。

貯金はリアルに40万円しかないので、初期費用が家具まで含めてこの中で払えること。

この条件で探すこと1時間、ようやく好みの物件を発見し、すぐに不動産会社に電話します。

私「次の火曜に内覧したいです、予算内で写真のイメージ通りならすぐ契約します。」


そこから3週間で入居

電話した二日後には内覧です。

不動産屋さんと見に行くと、かなりよかったです。

営業マン「この物件、東京電力さんの借り上げ社宅だったんで、もっと家賃高かったんですけど、一斉に一棟解除になっちゃったんで、家賃すごく下げてるんです。」

実際に、当時10万円の家賃が8万円と、エリアでは格安でした。

私「今すぐ契約しましょう!!」

そこから書類を書き、家主のチェックをまって、二週間後には無事に契約がまとまり、三週間後には引っ越しを迎えました。

引っ越しはおじさんから軽トラを借り、一人暮らしから同棲に変わる女の子から家電をもらいまくり、友達と二人ではじめての引っ越しを終えました。


一人暮らしは学びが多いのか

結果として、先輩の無茶振りのおかげで、私はまんまとお金が足りなくなり、必死に働くようになり、仕事が楽しくなるという好転ストーリーをここから一年半かけて過ごしていきます。

月20万円自由になっていたのに、家賃と光熱費と食費で12-15万円くらい出ていってしまう訳です。

二年目、三年目は本当にお金に苦労した時期でした。

ただストイックになったというだけでなく、見えてきたこともありました。

家事は本気でやらないと語れない

自炊は好きでよくしていましたが、やっぱり家庭があるひととくらべると、味噌汁と主菜があれば上等程度の料理じゃ主婦とは語り合えない。

ファミリー向けの持ち家に住んでいる人と、1Kの狭い世界をちょこちょこ掃除している程度の人間が語り合えない。

洗濯物が嫌いで、洗濯終わったら家の中に適当に干して、たたみもせずにカゴにつっこむやつは語れない。

家事については、何一つ真剣にやったわけではなかったので、営業トークとして身に付いたものは何もありませんでした。

何か一つ真剣にやればよかった、もったいなかったなぁと思います。

家具はほんの少し語れるようになる

一人暮らしのタイミングで、ヤコブセンランプと、飛騨産業のHIDAシリーズの一人がけソファを買いました。

はじめて買うデザイナー家具に、とても毎日ウキウキしていたのを覚えています。

味気ない1Kでも、大好きな家具が入ると、もうお気に入りの空間なんですよね。

ここから、家自体をデコラティブにするより、インテリアにこだわるべきだというスタンスは一貫するようになりました。

家計に興味を持てた

よかったことは、家計を計算するくせがついたことです。

月20万円だと、8万円の住居費がしんどいことを学びました。

それまでは借入限度額で当たり前に提案していた私が、真剣にお客様が返せる額を試算するお手伝いをし始めたのはこのあたりからです。

整った生活が少しずつ芽生える

今でも整った生活とは言い切れませんが、バーで深酒しても、親が起こしてくれる環境から、自分で起きてご飯をつくる生活に変わったのは、一気に自分を大人にしたと思いました。

社会人としての自覚が芽生えて、色んな覚悟が決まってきたのはこの時期だったなと思います。

あと、月並みですが、母さんありがとうって本当になりますよね。笑


当時のお部屋

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左がHIDAの一人がけソファ。
王様の椅子と呼ばれ、今の家にもあります。

チャチな部屋だけど、24歳の一人暮らしスタートの時は大好きな我が城でした。

仕事を真剣にするきっかけをくれた先輩と、この部屋には感謝しかないです。


この頃のお客様、紹介からの受注したストーリー。

引っ越しして最初の受注は一生懸命さがポイント!



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