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幸せになろう なろう 明日なろう

「幸せにします」と「幸せにしてね」という言葉にずっと違和感があって。

「自分の幸せですら手に入れるのが難しいのに、人のことを幸せに出来るだろうか」とか「他力本願過ぎじゃないかな」とか考えてしまう。昔から捻くれていて「ホームドラマに出てくるような温かな家庭」とは縁遠かったからかもしれない。

「一緒になること」が幸せにするということであるならば、確かにこの言葉で良いと思う。ただ、その先のことを含んでいるのなら私は「私を幸せに出来るのは自分だけ」と思ってしまう。何故なら相手の考える私の幸せと、私が考える私の幸せは完全には一致しないからだ。

相手から提供された幸せを見て「ちょっと違うんだよなあ」なんて失礼なことを思うぐらいなら、自分の手で幸せを手に入れた方が良い。もしそれが一人では叶わないのであれば、協力して貰ったり、補って貰ったりすることは構わない。そのために一緒になったのだから。

「一緒に幸せになろうね」これが正解じゃないのかなと私は思う。お互いが幸せになるために、手を取り合って様々な困難や試練に立ち向かう。良いことがあれば共に笑って喜んで、辛いときは共に泣いたり慰めたりする。

最近、子育てやら何やらで全然実践出来ていない気がするので、自戒を込めて。

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