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TOKYO2020 Field Cast体験記⑦

こんにちは、コーヘーです。
自己紹介はこちらから。

たくさん書いてきたTOKYO2020体験記ですが、一旦今回で最後です。
パラリンピックでの活動全体を通じて感じたことを中心に書きます。最後までよろしくお願いします。

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ウイルスへのうらみごと

あまり言いたくない話題ですが、今大会を語る上でウイルスとそれに伴う色々に言及しないのは嘘だと思うので、先にうらみごとを書いておきます。

・もっと観客が入っていれば
4階までぎっしりと観客席が用意された、私がこれまでにみた中で最高の競技会場東京アクアティクスセンター。期間中、無観客開催を嘆かなかった日はありません。日本勢のメダルラッシュをもっと多くの人に見てほしかった。パラでも、小学生をはじめとする多くの人にアスリートの頑張る姿を目の当たりにして欲しかった。もっといえば、いろんな試合の結果は、観客がいたら変わっていたかもしれない。無観客開催を決断したおかげで今大会が無事に終了した、という側面はもちろんあるだろうけど、やっぱり観客を入れたかったな。

・もっと人と触れ合いたかった
「選手と距離をとって!!」
期間中何度聞いたかわからないマネージャーさんのセリフ。聞くたびに、目の前にオリンピック・パラリンピックという舞台で戦うトップアスリートがいるのに、なんて寂しい言葉だろう、と思っていました。もっとたくさん話したかったし、握手したかったし、サインも欲しいし、写真も撮ってもらいたかった。ボランティア同士でもずっとマスクをつけていたし、食事も黙食が徹底されていました。ただただ寂しいです。

・もっと多くの人が関われていたら
私は本当に貴重な体験をし、誰よりもこの大会を楽しんで終えることができたけれど、オリンピック・パラリンピックとこれからの日本のためにも、もっと多くの人に関わって欲しかった。現地でしか得られないものがたくさんあったはずで、それによってもっと多くの人の価値観や人生を変えていたと思う。

・もっと飲み会があったら
あんなにも仲良くなったCERチームのみんなと、結局一度も、食事にすら行かなかった。居酒屋があいていればきっと毎晩飲んでいただろうな。オリンピックは本当に最高のスケジュールで、競泳は朝から始まって夕方にはプログラムが終了するので、その後実施される様々なスポーツをスポーツバーで観戦して最高に盛り上がりながら楽しめたに違いない。

あぁ悔しい。
絶対にもっと多くの人がもっと楽しめた大会だったのにな。
悔しいけど、それでも、無観客だったけれども、開催できたことは本当に良かったと思います。

パラリンピックの価値 大きな通過点

うらみごとを先に書いたので、「それでも開催されてよかった」と思う理由を書いていきます。

上の記事では、オリンピックボランティアに参加してよかった・オリンピックが開催されてよかったと思う理由として
①オリンピックを最大限楽しむことができた
②現代オリンピックの価値を捉え直すことができた
③気持ちにプラスの変化が生まれた
ことを挙げていました。(細かく言えばもっとたくさんあるけれど)今回も①と③は同様に感じていますが、繰り返しになるので割愛します。②について、パラリンピックにはオリンピックとまた違う価値があると感じました。これを詳しく書いていきます。

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上に引用した記事で、私はオリンピックには「我々がこれから目指す社会を描く存在」としての価値があると記述しました。これは「世界平和に向けたポジティブなイメージ」を持たせることであり、明るい未来を想像させることです。

一方で、パラリンピックには「社会が抱える課題を真摯に見つめさせる存在」としての価値があると思います。つまり、オリンピックで描いた明るい未来に向かうために、我々が忘れてはならないこと・解決していかなければならないことをパラリンピックは明らかにしています。

こう感じた理由の一つとして、パラリンピック初日の表彰式があります。
表彰式は国旗掲揚が終わると、30秒間マスクを外して写真撮影・その後マスクを付け直して真ん中に集合し写真撮影という流れで進みます。このマスクの付け外しの際にはカメラマンの横でフォトマネージャーさんが「Mask  Off」「Mask On」と書かれた大きなサインを出してタイミングを指示していました。
ところが、初日の表彰式には弱視かつ英語がいまいち分からない(ロシア語ネイティブ)メダリストがいました。盲目であれば歩くにも介助者が必要なため、マスク付け外しも介助者が手伝ってくれるのですが、弱視の場合、歩くなど移動に大きな支障はないので介助者はいませんが、マスク付け外しのサインは見えません。「真ん中に寄って!」のジェスチャーも見ることができません。
結局その表彰式はフォトマネージャーさんと私(アスリートエスコート)が大声で叫ぶことでなんとかスムーズに終えることができました。感染対策の面から考えれば大声は出したくありませんが、仕方ありませんでした。

パラリンピックはアスリートが全員障がいを抱えていることを前提として開かれる大会です。多様な選手がいて、大会の運営も障害共生に対する理解度が高い。世界最高レベルにバリアフリーな大会だと思います。そんなパラリンピックですら、配慮が行き届いていなかったことは、私にとって大きな衝撃でした。パラリンピックでも足りないのであれば、障がいを持つ人にとって普段の社会はどれほど配慮に欠けたものなのでしょうか。

確かに、一口に障がいと言ってもその種類は多様で、全てに事前に対応することは難しいです。だから「思いつく限りのことは最大限準備して、足りなければその場でできる限り対応する」というパラリンピック運営における姿勢自体は間違っていなかったと思います。、でも課題があったのは事実。この「課題」は「障がいを抱えている人がいること」「障がいが多様であること」(障害の個人モデル)ではありません。「社会が障がいを含めた多様な個人全てを受け入れる形になりきれていないこと」(障害の社会モデル)です。

パラトライアスロン女子に出場し、開会式では日本選手団の騎手を務めた谷真海選手が記者会見で次のようにコメントしていました。

ダイバーシティ・インクルージョン、進んできたとは思います。けれども、今回の大会はゴールではなくて、大きな通過点でなくてはならないというふうに感じているので、ここからは、選手たちの努力も必要ですけれども、本当にみんなでアクションにうつしていく時期かなと思っています。

「誰1人取り残さない」世界平和の実現に向けて、我々は動いていかなければなりません。

おわりに 〜これからに向けて〜

「2024、パリへ行きたい。」

パラリンピック活動5日目あたりから、この思いが芽生え始めました。

大学3回生の私には3年後、2024は想像もつかない未来で、どうなるかはまだなにもわからないけれど、常に頭の中に置いておきたい目標ができたことは良いことだと思っています。

今大会でのこの貴重な経験を、「楽しかった」だけのものにはしない。パリへ行かなかったとしても、オリンピック・パラリンピックは生涯を通じて大切にしていきます

この体験記は全部で3万字くらいありますが、まだまだ書き忘れている経験がありそうです。もしかしたらまた追記したくなって⑧が出るかもしれませんが、一旦これで私のTOKYO2020は終わりとし、次に進んでいこうと思います。

お付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。



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