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TOKYO2020 Field Cast 体験記⑤

はじめに

こんにちは、コーヘーです。今日は2021年9月5日。TOKYO2020パラリンピック、閉会式の日です。パラリンピックでの活動も本当に本当に楽しかった。この大会が終わること、寂しさを感じずにはいられないけれど、これからに繋げるためにも、記事を書いて大会を締めくくろうと思います。

(自己紹介は以下の記事にて)


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8月24日

活動1日目。9日に帰阪したのに、23日に再度大阪から東京入り。
祖父母にまた2週間お世話になる。

この日はパラリンピックの表彰式リハーサルで、ほとんど問題が起こることもなく滑らかに進んだ。ボランティアの人数が少ない(7人?)ことがちょっと不安ではあったけど、オリンピックから継続して参加している人もいるし、リーダーの人たちも変わっていないので段取りは完璧だったのだ。

パラリンピックがオリンピックと違う点は表彰式チームから見ると大きく2つ。
①色々なハンディを背負っている人が来るので柔軟に対応する必要があること。
②オリンピックでは最大でも1日5回しかなかった表彰式が1日に16回開催10日間で合計146回もあること。
である。どちらの点も、始まる前に準備できることは全部やった上であとはやってみないとわからない、という感じだったので、リハーサルは滞りなかったのだ。だからこの日は予定より早く解散になった。

予定より早く解散になったので、私は近くのイオンにあるダイソーまで買い物に行った。買ったのはプラスチックのカゴ6つとチャックのついた書類ケース3つ。メダリストのスマホなどを一時的に預かるために使うのである。

オリンピックの時、表彰式に出るメダリストの荷物を預かるのにゴミ袋を使っていたのだが、それが選手からもボランティアからも大変不評だった。(靴とスマホを一緒に入れたりしていたし、見た目もかなり悪い。そりゃそう。)
にもかかわらず、リハ時点ではパラでもゴミ袋を使う想定だったのだ。

6年もイベントをやっていると、「経費で現場に物品を追加する」というプロセスがどれほど面倒なことかはよく知っている。ペンキ買って装飾に色を塗る、という時間さえあれば1日でできることも、経費で落とすと1ヶ月以上前から準備しなきゃいけなかったりする。だから、本当に必要なら買いに行っちゃうのが結局1番早い。買ったカゴをアクアティクスセンターの控え室に届けて、この日は終了した。

(結局かかったお金はスタッフの人が払ってくれた。余談だが、江東区はレンタサイクルの文化が発達していて、ちょっと遠くのイオンでもスマホでパッと電動自転車を借りて移動できた。素晴らしい。)

8月25日

活動2日目。ついにパラリンピック本番。初日だというのにいきなり表彰式は16回。間はほとんどなく、最後は5連続表彰という鬼のようなプログラムである。(写真の黄色いところが全部表彰式。目ん玉飛び出るかと思った。)

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魂の16回表彰、なんとボランティアは7人。18時前からスタートして21時頃まで、本当に息つく暇もないという感じだった。スケジュールで見ると表彰式の後にレースがあったりするが、控え室にはすでに次の表彰式のメダリストが来ていて、表彰式のブリーフィングを行ったり貴重品を預かったりと対応をしなければならない。メダルやプレゼンターのセッティングも合わせるとほとんど16連続のような感じだったのだ。

裏は本当にバタバタだったのだが、表(テレビ映り)としてはこの日はほぼ完璧にスケジュール通り進み、無事に終わった。今考えても、この初日をたった7人のボランティアで乗り切ったのは奇跡としか考えられない。21時に全て終わった時には、猛烈な疲れとともに、オリンピックの大会最終日ばりの達成感があったのをよく覚えている。同時に、この後10日間もこれをやるのか…しんでしまう…とも思った。

この日大活躍したのは、実は前日に買いに行ったカゴだった。オリンピックの時は貴重品を預かるのに大変苦労した(理由の説明を求められたり)けど、カゴにNo Phone,No Accessories のサインを貼って待機イスの横に並べるだけでスムーズに回収ができた。オリンピックの経験が活きたし、昨日の自分の判断が功を奏し、スタッフの人にもすごく感謝されて誇らしかった。こうした即断即決即行動ができるところは長所と言えるな、とぼんやり思った。

この日に感じたことは3つ。
①様々なハンディを抱えているメダリストに違和感や壁を感じる暇がなくて、逆にすごく対等に話すことができていた。
→忙しすぎて、普段うっすらと感じていた障がいに対する心理的な壁のようなものをほとんど感じていなかった。これ以降も感じることなく活動することができ、やはり障がい共生には直接関わることがすごく重要なのだと実感した。
②弱視、という障害の難しさ・パラリンピックという大会の持つ意味
→これについては体験記③で書く。
③ブラジルのある選手のパフォーマンスがカッコ良すぎた。
→私がエスコートをした彼は、表彰台でダンスしていた。両手足に障がいを抱えていても、全身で喜びを表現できる。控え室でもすごく明るい彼は、俺を見ろ!とアピールしているようで、めちゃくちゃカッコ良かった。すごく印象に残っている。

この人。ガブリエル ジェラウド・ドス サントス アラウジョ、19歳、ブラジルの身体障害クラスS2の選手。今大会では金・金・銀の3枚のメダルを獲得した。
この動画には表彰式の様子は映っていないけど、NHKの見逃しで見られる。

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ちなみにこの日は鈴木孝之選手が銅・14歳山田美幸選手が銀を獲得と初日から日本選手の活躍が見られた。

8月27日

1日お休みを挟んで活動3日目。オリンピックの時同様、今回も2日活動したら1日休むサイクルでシフトを入れた。感覚的にはこれが1番疲れが溜まらなくて、気持ちよく活動できてちょうどいい。今大会では、(長期間に渡るイベントが若さに任せた体力と気合だけでは乗り切れないことはよく知っているので)きちんと休みを取ることを意識した。結果として最後までぐったりすることなく楽しく終えることができたので本当によかった。(社会人になって平日5日働くのが怖くて仕方ない…。)

この前日、ボランティアが5人しか来ない(初日よりも減少)という大問題が生じ、たまらずリーダーの人が他部署からボランティアを派遣してもらうことを選択。結果としてこの日からはEVS(観客誘導)の人たちが参加してくれることになっていた。人数が増えて大会も4日目なので、だんだんとこなれてきた感じになっていた。

この日に起こったトラブルは、プレゼンターの取り違え(メダルを渡す人とギフトを渡す人を逆にしたまま入場させてしまった…。)とギフトの取り違え(銀メダリストが金のブーケを取ってしまった。緊急で私が出て対応した)、あとは表彰式が一つなくなった。(リレーの結果に異議申し立てがあったようで、メダリストが確定しなかった。会場で1番偉い人が来て選手に説明していた。最終的には結果に変化はなかったのだが、表彰式は2日後に行われた。)

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↑バタバタとブーケを交換させる

この日良かったことは、表彰式控え室に入ってくるメダリストがすごく嬉しそうな表情をしてくれて、中でもある選手は写真とろう!と声をかけてくれて、写真を撮ったこと。
というのも、東京アクアティクスセンターCERチームは146回の大量表彰を請け負っているので、どうしても業務に意識が向いてしまいがちで、4月のテストイベントの時なんかはすごくピリピリした空気で運営していた。
それを踏まえて、オリンピックからのCERチームが1番大切にしていたのは「何よりも選手を祝福する、Congratulations‼︎の気持ちを持つ」こと。
毎日朝礼でこれを確認して活動していたこともあり、メダリストが部屋に入る時、出て行く時には全員に割れんばかりの拍手を送っていた。この日は特に、追加で招集されたボランティアさんがいたこともあって拍手のボリュームが大きく、ちょっと照れて、でもすごく嬉しそうな様子のメダリストたちの姿がすごく印象に残っている。

小さなトラブルはあったけど、概ね滑らかに表彰式は進んでいたし、リーダーの皆さんもすごく褒めてくれていた。

8月28日

活動4日目。この日もアスリートエスコートをやらせてもらった。この日はパラリンピックで初めてリレーがあったのだけれど、総じてすごくうまく行った。人が増えたこともあるけど、やはりチームみんなの動きがすごく洗練されていたことが大きかったように思う。

この日あったトラブルは、ある選手が表彰台の上でのマスク付け外しに苦戦し、サポートが必要になったこと。アシスタントを呼んでくれればよかったのだけど、「普段の大会自分でできてるから!」と呼んでくれなかったので、本番では私がサポートした。選手との接触は極力避けているのだけど、あの場面では出る人は私しかいなかったし仕方ないかな。

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この日1番良かった出来事として、「『Congratulations‼︎』の広がり」がある。表彰式が終わった後はシャペロンさんというドーピング検査を担当している人たちにメダリストを引き渡すのだが、前日までは彼らはすごく無愛想に、「はい、こっちきてねー。」と言っていたのが、この日くらいから「Congratulations‼︎おめでとうございます〜〜!」と迎え入れてくれるようになった。CERチームの人たちが最後まで祝福していたからこそ、彼らにもその気持ちが伝わったのだと思う。業務だけじゃない、本当に最高のチームだな、と感じた出来事だった。

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さて、ここまでで活動4日分の記録です。既に4000字くらいあるので、3部構成にしても結局オリンピックと同じ(12000字)くらい書くことになってしまいそう…。何度振り返っても、すごく良い経験と良い思い出。これからに繋げるためにも、きちんと整理をつけていきたいと思います。もう少しお付き合いください。


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