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TOKYO2020 Field Cast体験記⑥

はじめに

こんにちは、コーヘーです。自己紹介は以下の記事でご覧ください。

さて、パラリンピック体験記の2本目です。活動5日目〜最終日の出来事を記録していきます。お付き合いください。

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8月30日

さらに1日休みを挟んで、活動5日目。この日は確かプレゼンターのエスコートをやっていた気がする。(多すぎて既にわからなくなっている…。)1日16回も表彰式をやっているのに、特に大きなトラブルもなく、スケジュール通りオンタイムで終わった。みんなは「今日も無事終わったねー。」くらいの感じだったけど、相当すごいことを成し遂げていたと思う。

この日の気づきは3つ。
イタリアの国歌がすごく良い
→他国に比べてちょっと長いけど、後半には手拍子をして、曲の最後にはみんなでYA‼︎と叫ぶ。リレーの表彰式ですごく盛り上がっていて、良いなぁと少し羨ましかった。
・言語ボランティアさん強すぎる
→普段は中国語を話せるボランティアさんがCERチームにもいるのだけど、この日はいなくて、言語ボランティアさんにお世話になった。オリンピックでも思ったけど言語ボランティアには猛烈な需要があるし、何よりすごく頼もしくカッコいい
・初めてアルビノの選手に会った
といったところ。

テストイベントから毎回同じ場所・同じ役割で活動をしているけれど、絶対に毎日初めて経験する何かがあって、気づきがあった。それらをすごく大切にしながら過ごしていた。この感覚はこれから先も大事にしていきたい。

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競泳のパラリンピックは9/3の金曜日で終わってしまうので、期間中唯一の土日が終わったこともあり、社会人のボランティア参加者が一部活動最終日を迎えていた。元々EVS(観客誘導)で途中から参加した人たちが、このCERチームに参加できたことを本当に喜んでくれていて、そんなチームにずっといられたこと、喜んでもらえるチームを作って来れたことが本当によかったなと改めて感じた。活動に慣れてきたこのタイミングで、与えられた環境の貴重さを見つめ直すことができたのは大きかった。おかげでその先も気持ちを切らすことなく活動することができた。

8月31日

活動6日目。この日は国旗担当だった。それまでたくさんエスコートをしてきて疲れていたこともあり、少し肩の力を抜いて活動した。(国旗担当は英語その他の言語の壁に苦しむ瞬間がないので、比較的気が楽)

この日はなんといっても、オリンピックパラリンピック全146回の表彰式の中で唯一の同着が出た日だった。

そのリザルトが以下。3位が世界新記録で同着、というパラをよく知らない人には意味のわからない結果だろう。(実際、会場で国旗管理のスーパーバイザーをしていた人や海上自衛隊の人たちも???となっていた)

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リザルトの「競技クラス」のところを見たらわかる通り、3位の選手はどちらも「S6」である。身体障がいはS1~S10にクラス分けされており、数字が小さい方が障がいが重い。このレースはS7のレースで、3位の2人はS6でありながらこのレースに出場していたのだ。

そのため、「レースの順位としては3位だがS6クラスの世界記録更新」という状況が生まれたのである。こういったことはパラの世界では日常茶飯事(同じ障がいのクラスでも、欠損部位による有利不利や障がいの重さの違いは当然ある)なので、それゆえにパラアスリートは「自己ベストを出す」ことにこだわるのだ。今大会の中で、メダルを取れずに終わった選手が自己ベストを出せて喜ぶシーンも、金メダルを取れたけど自己ベストが出なかった選手が悔しがるシーンもたくさん見た。これもまたスポーツのひとつの在り方だ。

ちなみに銅が2人の時の表彰式はこんな感じになる。とてもレア。

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同着の表彰式もリハーサル通り進み、トラブルはなし。この日も無事に終わった。

9月2日

最後の休日を挟んで活動7日目。本当はこの日で活動を終了して帰阪し土曜日の会議に出るつもりだったのだけど、どうしても最終日までいたくなったので土曜日に始発で帰ることにして滞在を延長した。(土曜日めちゃくちゃしんどかった)

この日はトレイベアラー(メダルやブーケを運ぶ係)の担当。アスリートやプレゼンターと直接関わることは少ないポジションで、表彰式が始まる前にセッティングを終えるのでテレビにもあまり映らない役割である。オリンピックからずっと表彰式を経験してきている私がこのポジションをやる余裕があるくらいにはEVSチームの人たちの加入がプラスに働いていた。人数もボランティアが15人くらい居た。はじめからこのくらい欲しかった…(笑)

余裕が出た中でも気を抜くことなく、この日も大きなトラブルはなく無事に終わった。

【7日目の気づき】
・トルコのユニフォームお洒落
→オリパラ通じて初めて(?)トルコの選手が表彰台に上がった。
世界記録が出た時にはGreatest Showが流れる
→無観客の会場でも、こうした演出が行われている。テレビでは放送されないのだが、競泳の決勝が始まる前には照明などの装置をふんだんに使ったオープニングショーがあった。
・スペインのピンバッジを交換
鈴木孝幸選手が今大会5枚目のメダルを獲得
→閉会式の日にはIPC委員にも当選。結果を出してパラスポーツを引っ張っていく姿が本当にかっこいい。

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無観客でも夜の東京アクアティクスセンターはこんなにも綺麗。

9月3日

活動8日目。最終日である。競泳はなぜかパラリンピック閉会式の2日前に最終日を迎えるので、東京アクアティクスセンターにおけるTOKYO2020はこの日が完全に最後になる。

活動終了後は夜遅くなってしまうので、活動前にボランティアへの手作りメダル授与式を実施。まだ16回も表彰式が残っているのにスーパーバイザーが泣いちゃって大変だった(笑)

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この日は最終日にしてボランティアが初めて20人を超えるというパターンで、私は部屋前でメダリストの本人確認や部屋の中全体のマネジメントを行なっていた。最終日まで残留することを決めたときに、何の役割もなくてもいいからこの会場に来よう、と思っていたので特に問題はなかったのだけれど、最後の最後、リレーの表彰式でアスリートエスコートとして表彰式に出ることをリーダーに任せてもらった。「君には最後の表彰式に出てほしい」と言ってもらえる存在になれたこと、すごく誇らしく嬉しかった。

結果的に、最後の表彰式に出してもらえたことは本当によかった。数え切れないほどの表彰式に立ち会ってきたけれど、1番印象に残る表彰式になった。最終日ということもあって、ボランティアがたくさん観客席にいて拍手を送ってくれていたこともあり、盛り上がりがすごかった。これを最後に、もう2度とオリンピック・パラリンピックの表彰式に出ることはないのだろうと思うとめちゃくちゃ泣きそうだったけど必死に我慢した。

この日は体操の田中理恵選手丸川オリ・パラ担当大臣パリの副市長などたくさんの大物がプレゼンターとして来てくださり、お会いすることができた。田中さんはめちゃくちゃ綺麗だったし、丸川さんはSPが3人しかいなくて日本平和すぎか!?!?となったし、パリの副市長はさすがパリの顔、というくらい背が高くてカッコよくて礼儀正しい人だった。他にも、橋本聖子会長やバッハ会長など、オリパラを通じてたくさんのお偉いさんにお会いした。最後の方はちょっと感覚が麻痺していた。

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最終日は怒涛のように終わってしまった。その中で1番記憶に残っているのは木村敬一選手と富田宇宙選手の100mバタフライS11金銀ワンツーフィニッシュだ。

日本中で多くの人が彼らのインタビュー動画や記事に涙したことと思う。オリパラを通じて、感動的なシーンはたくさんあったけど、私はこれが1番泣いた。同じVTRを何度も観て何度も泣いているので母親に気味悪がられた。

(解説者も実況者も全員泣いていたNHKの放送切り抜きhttps://youtu.be/WEihVEaqd_E がYouTubeに上がっていたのだけど、9/7時点、非公開になってしまっていた。悲しい。)

木村選手も富田選手も、明るく愛される人柄で有名である。
富田選手が2枚目のメダルを獲得したときの表彰式控え室で
「おめでとうございます!表彰式2回目ですし、説明いらないですよね?」と声をかけたところ、
「あ、でもアシスタントの彼女は初めてなので、4回くらいお願いします!」と答えてくれたのをよく覚えている。

木村選手も今大会で1枚目のメダルを取ったあとのインタビューでは「変えたところ?特にないです。オレンジジュースをリンゴジュースに変えたくらい。…ウソやけど」とのコメントを残していた。

明るい人たちなのだ。彼らの人柄に惹かれる人は多い。私もその1人だ。

木村選手「目が見えないからメダルの色は関係ない」というようなコメントもこれまでに残していた。そんな彼が表彰式で初めて君が代を聞き、世界1位を実感し涙を流す場面を見ると、私も涙を堪え切れなかった。

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以下の記事では彼らが歩んできた道についても知ることが出来るのでぜひ読んで欲しい。

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この日、表彰式を含むすべてのプログラムは無事に終了した。どんなイベントにも共通することだが、終了後ノスタルジーに浸る暇なんかほとんどなく、ものすごい勢いで撤収が始まる。選手たちが会場にあったポスターをガンガン剥がして丸めて持って帰っていく様子が印象的だった。20分くらいでぶわーーーーっと記念撮影して、一気に解散となった。気が抜けたのか、たくさん忘れ物をしそうになってバタバタした。

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それでもたくさん写真を撮れたし、帰り道でたくさん話をできた。
全てが一生の思い出だ。

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さて、大変長くなっていますが、これでパラリンピックの活動記録は終わりです。活動記録と言いつつ、木村選手・富田選手たちのことにも言及したりと脱線が多かったせいですね(笑)

最後の③では思いや感じたことを中心に、TOKYO2020大会を総括したいと思います。よければ最後までお付き合いください。


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