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働き方改革を考える

近ごろ、ことあるごとに「働き方改革」というワードが飛び交っていますね。既成の労働環境を大きく見直す取組として、特に長時間労働の削減の文脈で使われることが多いでしょうか。

改めてこの言葉を見てみましょう。まず、改革するのは「働き方」です。「働かせ方」ではありません。労働の場を提供している会社が主語ではなく、僕たち働く側が主語なのです。また「改革」とは、ある状態を別な状態へ変えるということ。つまり働き方改革とは、「僕たち自身」が今とは異なる「別な状態に変化」することを意味する言葉です。

現状の働き方改革は、会社がしきりに「仕事にメリハリをつけて」「帰れる時は早く帰りましょう」と言うようになったものの、そう言いながらも仕事は以前と変わらず山積みのまま…という状態がほとんどではないでしょうか。改革の主語は僕たち自身です。まず、僕たち自身が「なりたい姿」を描かないことには、物事が進みません。

僕たちは一体どんな状態に変化すれば良いのでしょうか。

そんな「なりたい姿」が描けない僕たちに、面白い示唆を与えてくれるのが『タニタの働き方革命』です。ご存知のとおり、タニタは体脂肪計などの健康器具メーカーで、タニタ食堂のブランドでも知られた会社です。現在、このタニタが働き方改革の一環でとても面白いチャレンジを始めています。

なんと、希望する社員はタニタを退社しフリーランスとなり、引き続きタニタの仕事を進める傍ら、他企業の仕事も並行して行うという取組を行っているのです。フリーランスはまさに「自由な働き方」そのものです。労働時間も自由ですし、出社する必要もありません。お給料は時間への対価から「仕事に対する報酬」に変わります。通常のフリーランスであれば、仕事があるかどうか分からない不安を抱えながらになりますが、このプロジェクトでは 3年間はタニタからの仕事が保証され、希望すれば正社員に戻れるという条件が付いています。いわば会社員とフリーランスの良いとこどりをした制度なのです。

フリーランスの働き方

本書の執筆者はタニタの社長である谷田千里さんです。本プロジェクトは谷田社長自身が主導し、強い思いの下で始まったものでした。谷田社長は働き方改革が長時間労働の削減という「時間」の問題にすり替えられがちなことに、疑問を呈します。

ともすると「働き方改革」=残業削減と捉えられがちですが、私は残業時間にフォーカスした「改革」を進めても、日本は活性化しないのではないかと考えていました。

私が本書で企業経営者やビジネスパーソン、特に若い方に訴えたいのは「働き方改革」を論じる時に「時間」だけでなくもっと「主体性」の問題を考えましょうという事です。

僕も全く同じ考えを持っています。長時間労働は是正されて然るべきですが、それ以上に問題視されるべきは「時間の過ごし方」です。同じ労働時間でも「強いられて過ごした 8時間」と「楽しく過ごした 8時間」では、充実感やストレスが全く違います。強いられるか楽しいかというのは感情的な境界ですが、そこにあるのは時間を忘れて没頭できるかどうかの違いではないでしょうか。経験上、自分が主体的な姿勢で過ごした時間は濃密で楽しい時間になります。そうした主体性を確保した上で、健康のために時間を管理する…というのが改革の正しい順序だと思います。

そもそも、会社勤めには無意味な拘束時間が多く含まれます。代表的なのが通勤時間です。通信手段の乏しい時代では、意思伝達や情報共有のために社員がひとつの建物に集まって仕事をすることに一定の合理性がありました。しかし現在のテクノロジーの下では、ひとつの場所に集まるということに大して意味はありません。意味がないどころか満員電車に揺られたり、通勤に 1時間以上も掛けるのは心身ともに多大なストレスです。そうまでして定時に出社して、何の生産性もない朝礼に時間を費やすことが現代においても合理的などと、誰が説明できるのでしょうか。

働く時間や場所にとらわれず、自分自身で主体的に働き方や人生全体をデザインできる。これが個人にとっての最大のメリットです。

メンバーシップ型からジョブ型へ

日本企業は古くからメンバーシップ型の給与体系、業務体系、組織構造を確立してきました。毎年一括して人員を採用し、そこに仕事を振り分けたり、当て嵌めたりしていく手法です。仕事に応じて人員を確保するというより、確保した人員に何か仕事を与える、という発想です。これが終身雇用とセットになると、余剰人員にも何か仕事を与えなければなりません。「窓際」と呼ばれる社員はメンバーシップ型の歪みで生まれる副産物です。

最近、大手企業による大規模な配置転換や出向のニュースが相次いでいます。富士通は人事・総務・経理などの管理間接部門の人員 5,000名をIT部門へ配置転換、損保ジャパンは 4,000人を介護事業会社へ出向させることを発表しました。余剰人員分の仕事がないため、仕事がありそうな部署へ移すという手法です。人の適正や能力などお構いなしに、「仕事を用意すれば良い」という生産性を度外視した発想ではないでしょうか。

一方、欧米で導入されているジョブ型では、こんな発想は生まれません。任せたい仕事があるから人材を募集し、然るべきスキルのある人間を雇用します。プロジェクトが終われば雇用契約も終了となりますが、他企業もスキルのある人間を募集しているため、渡り鳥のように会社を移り、仕事を得ていきます。フリーランスとは、このジョブ型雇用への変革といえます。

皆さんは頑張れば頑張るほど仕事が増えていくという経験をしたことはありませんか。そのわりにお給料は増えないという不満を抱いたことはありませんか。これはメンバーシップ型雇用の矛盾です。早く仕事が終われば「余裕がある」と見なされ、別の仕事を頼まれます。給料が時間に対して支払われることも鑑みると、仕事を素早く終わらせ、生産性を向上させるインセンティブがはたらきにくい環境なのです。それどころか、仕事を早く終わらせる能力を持つ人間に負荷が集中する傾向があります。生産性の高い優秀な人間ほど買い叩かれる現象がメンバーシップ型では生じてしまうのです。

タニタのフリーランスの取組では、「基本業務」として委託契約を結び、従来の業務を継続します。早く仕事が終わればそれで業務終了、追加の仕事をさせたければ会社は「追加業務」をオファーし、都度報酬を設定する必要があります。つまり、成果を出した分に応じて報われる環境になるため、生産性や能力を高めるモチベーションがはたらく仕組みに変わります。

既存のメンバーシップ型の仕組みを維持したまま訴える生産性向上など、まやかしです。本気でそう思うなら、タニタのようなインセンティブがはたらくジョブ型への改革を模索するはずです。残念ながら、現状ではほとんどの企業が生産性向上を従業員の「やる気」に丸投げしている状態です。

スキルに必要なのはポータビリティ

もうひとつフリーランスの利点が、他企業の仕事を受託することができることです。本書に掲載されているプロジェクト参加者のインタビューの中に、こんな感想がありました。

通常だと、「将来こういうことをしたい」という夢について考える場合でも、あくまでそれは「社内で」という前提つきになってしまうんですが、(フリーランスは)その前提を取っ払って話ができたんですね。社内か社外かに関係なく、こういう仕事が面白そうだから、いまから手を出しておきたいとか、そういう話ができたことで、僕自身も凄く刺激を受け、意識が変わったと思います。

会社の中でスキルを磨いていくと、どうしても「その会社で、自分の部署でできそうなこと」に自身のキャリアビジョンが限定される部分が出てきます。自分の会社で収益化できない能力や夢は持つだけ無駄、というような錯覚すら起こしがちです。タニタの働き方改革では「タニタで出来ないことなら他企業で実現しよう」と思えることで、能力開発やキャリアビジョンの幅を飛躍的に広げることに成功しています。

一見、会社側からすると優秀な社員が流出するのではないかと思いがちですが、そもそも優秀な社員を繋ぎ止めておくのが難しい時代です。そうであれば、タニタが社員の夢を応援することで会社に愛着を持ってもらう。また、どうせ外部に業務委託するのであれば、タニタのことをよく分かっている元社員に委託するという発想になり、結果的に優秀な人材がタニタの仕事を継続できる環境が整うというのです。

メンバーシップ型雇用の最大の弊害は、多くの人間が恵まれた才覚を有しながら、会社に与えられた目標やマインドセットに順応し過ぎているということです。その結果、幅の狭く応用性に乏しい「この会社でしか通用しないスキル」しか持てていない人間が沢山生まれています。残酷な言い方をすれば、一歩会社の外に出てしまえば価値を失う人間が量産されているのです。

僕はスキルというものは高さや深さを追求する以前に、持ち運びが可能かというポータビリティが何よりも大事だと思っています。スキルに市場価値があるか、他の会社から声が掛かる人間かどうかは、このポータビリティで決まります。特定の専門知識は特定の環境でしか発揮されません。しかし、その専門知識をパラフレーズして別の現象に置き換えたり、異なるアウトプットに繋げることができれば、そのスキルは他の場所にも持ち運びができます。

スペシャリストでもゼネラリストでも構いません。特定の業界、特定の分野以外でも広く活用できるよう、スキルは高度に抽象化された状態に磨くことが何よりも重要です。スキルのポータビリティを高める上で、他企業の仕事を主体的に経験できるのは、たいへん貴重な機会でしょう。

フリーランスのように働く

とはいえ、全ての企業がタニタのように革新的な取組ができる訳ではありません。元々の前提は、働き方改革は僕たち自身が主語として考える問題でした。僕たちの「なりたい姿」を描くこと、その示唆としてタニタの例を紹介したのです。

僕は昔から「なりたい姿」として、「フリーランスのような意識で働く」ということを漠然と考えていました。会社からお給料を貰いつつも、それは「自分の成果に対する報酬」と捉え、成果を自分の言葉で説明できなければならないと意識してきました。そしてフリーランスのように働くのだから、時には会社の求めていない仕事にも首を突っ込もうと決めていました。

僕にとってフリーランスのように働くというのは、目標を会社の課題解決ではなく、自分の成長に設定すること。会社に要求される人間ではなく、自分に要求される人間になるということ。仕事を通して「何ができるようになりたいか」を問い続けるということです。その仕事をどうコントロールすれば必要なスキルが手に入るかを考え、会社から怒られるリスクを受け入れ、要求されていない「余計な」仕事をして、自分が望むスキルを獲得する。それを毎日考えてきた人間とそうでない人間との間には、1年もたてば取り返しのつかない差が現れます。

いつの間にか自らの成長を忘れて、「会社で怒られない人間」「会社で褒められる人間」になろうとしていませんか。聞き分けの良い子を演じた挙句、その演技が自分さえも欺き、なりたかった自分や欲しかったスキルを見失っていませんか。そもそも会社とは誰でしょうか。社長?上司?先輩?正体の分からない何者かに、あなたの価値観を丸投げしていませんか。

僕にとって会社とは、自分に対する「発注者」です。成果さえ出せば、何をどのように目指すかは受注者たる僕の裁量です。求められる成果が曖昧ならば、自分で定義するまでです。

働き方改革という言葉と一緒に、改めて自分の「なりたい姿」について見つめ直してみたいですね。

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