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メモ魔のすすめ

昨日、生まれて初めて人間ドックというものに行ってきました。その病院ではプライバシーへの配慮から、名前ではなく番号で患者が呼ばれます。僕は「104番」という番号が与えられました。

服を着替え、待合室で待っていると、早速「104番の方、どうぞ」と呼ぶ声がします。呼ぶ声に反射的に「はい」と返事してしまった時、僕は何だか自分がおかしくなりました。長年親しんだ名前ではなく、ついさっき偶然与えられた記号でも、自己を認識し身体は反応してしまうのですね。

同じように、103番や105番を与えられた人もいるのでしょう。どんな方か存じ上げませんが、お隣の番号ということで勝手に親近感が湧きます。100番というキリ番を与えられたのは女性の方でした。「100番の方、どうぞ」という声がすると、視線を上げていたのは僕だけではありませんでした。ついつい、「どんな人だろう」と気になってしまうのですね。別に100番と101番の間に意味の差異はないと知りながら、特定の記号に無意識に意味を見出してしまうのは、人間の習性なのでしょうか。

様々な検査のたびに番号を呼ばれるので、僕はそのたびにリアクションを変えてみました。返事をする、手を上げる、顔を上げる…意外なことに、最もスムーズに僕を見つけてくれたのは、アクションの小さな「顔を上げる」の時でした。呼ぶ側も大勢の中から見つけないといけないので、集中力を研ぎ澄ませています。集中とは、「大きな群の中の、小さな変化にフォーカスする」ということなのかも知れません。

検査を待っている間、周囲の人の行動を観察すると、スマホをいじる、置いてある雑誌を読む、持参した本を読む、何もしない…といった類型に分かれます。見た限り明確な男女差があり、女性は「何もしない」が圧倒的に多いことに気付きました。多くの女性は「何もしない」過ごし方を知っているのでしょうか。対して、男性はわずかな時間でも情報に触れ、脳に刺激を与えたがる傾向を感じます。

なぜ、このようなことを覚えているのか。実は、こうした待合室での機微をメモに書き留めていたのです。僕は昔から仕事でも日常生活でも、何でもメモやスケッチに残してしまう癖があります。

大ヒットしている『メモの魔力』でも取り上げられていましたが、思考をメモすることの効果は絶大です。本書で紹介されているだけでも、

①アイデアを生み出せるようになる(知的生産性の向上)
②情報を「素通り」しなくなる(情報獲得の伝導率向上)
③相手の「より深い話」を聞き出せる(傾聴能力の向上)
④話の骨組みがわかるようになる(構造化能力の向上)
⑤曖昧な感覚や概念を言葉にできるようになる(言語化能力の向上)

というような能力開発に繋がるのです。加えて、思考を書き留めることで、「自分は何が見えて、何が見えていないか」を知ることができます。自分の思考の癖を客観視できるともいえます。実は、冒頭の待合室の様子以外にも、病院の通路幅や天井高といった空間設計や空調換気の設計思想、サインデザイン、内装の素材などをスケッチしています。「おっ、これは面白いディテールだ!」と思ったら、写真に納めることもあります。

ところが、患者の年齢層や、医師や看護師の特徴などは全く記録していないし、まるで思い出せません。つまり僕の思考の癖は「環境」「行動」にフォーカスする割りに、「人そのもの」には関心がいかないことが分かります。なので、僕は仕事のパートナーが「人の心象や特徴」にフォーカスできる人だと、自分に足りない部分を補ってくれるのでとても助かります。メモを取ることによって、効率的に他人の力を借りることができるのです。

メモを取るというのは、言うなればインプットの瞬間にアウトプットをするということでもあります。メモを取り慣れてくると、この一瞬のアウトプットという行為のレベルが向上します。ただ見たものや聞いたものをコピーするだけでなく、頭の中にある様々な知の断片をかき集めるようになるのです。つまり1のインプットが、知識や経験のネットワークに接続され、その場で2や3、時には100倍ぐらいのアウトプットに変換されることもあります。

このようなメモによるクリエイティビティが表現されているのが、ヨシタケシンスケさん著『思わず考えちゃう』です。

ヨシタケさんといえば、かわいいタッチのイラストで鋭い切り口の物語を描写する、人気の絵本作家。本書はヨシタケさんが日頃のメモやスケッチを集積して得られた、沢山の気付きと学びをまとめたエッセイです。本書に限らず、彼の作品は大人にこそ読んでほしい。童心に帰るというより、大人になることと引き換えに置いてきた「忘れ物」を、目の前に持ってきてくれる、そんな感覚に浸れます。

ヨシタケさん自身も普段からメモ帳を持ち歩いていて、ふと思い付いたもの、何となく目に映ったものをスケッチする癖があるそうです。こうした日々の何気ないメモやスケッチを後から抽象化して振り返ると、大切な人生の捉え方に繋がるものなのです。

「心配事を吸わせる紙」
お風呂に入って体を洗って、外側をリセットすると、気持ちがスッキリするというのは、単に、肉体的な汚れを落とすという意味だけじゃないんではと。落ち込む気持ちとかっていうのは、身体の外側に付きやすいんじゃないかと。
「できないことをできないままにするのが仕事」
できないことをできないままにというのは、要は、自分にないものを探すのではなくて、持ってるものを磨くみたいなことの、一つの言い方です。
僕のことでいうと、絵に色をつけるのが苦手で、あるときまでは悩んでたけど、人に任せちゃうことにしたら、それ以外の部分に集中できて、いろいろとやりやすくなりました。
「幸せとは、するべきことがハッキリすること」
若いと、あれもできるし、これもできるし、今からあれになろうと思えば、まあできなくもないしって、選択肢がものすごくたくさんあるときって、逆に、もう何か不安なんですよね。どうすりゃいいんだよって。
だから僕にとっての幸せは、選択肢を強制的に減らしてもらうことだったんです。
俺、これとこれだけでいいんだよなってなったときに、すごく何か幸せになりました。

僕は、読書には2種類あると捉えています。ひとつは自分の思考を補完してくれるもの、もうひとつは自分の思考を広げてくれるもの。

思考の補完は、『メモの魔力』のように、自分が経験的に「こうだろう」と漠然と理解していた事柄を言語化し、秩序立てて知識・理論として定着させてくれます。

一方で、思考を広げてくれるものは『思わず考えちゃう』のように、自分では気付けない視点からメモやスケッチの可能性を広げてくれるのです。そんな視点があるのか、そんな考え方があるのか、と。

『メモの魔力』と『思わず考えちゃう』の2冊は、書店での置き場所も異なりますし、Amazonのサジェストでも繋がらないでしょう。言い換えれば、知のネットワークを活用して、異なるカテゴリーの間に意味的繋がりを見出すことこそ、AIにはできない、人間の脳機能の本質だと思うのです。

そうだ、ひとつ書き忘れていました。ここで話を急旋回して、冒頭の人間ドックに戻します。おかげさまで結果は正常そのもの、一安心でした。それよりも、やはり最大のハイライトは人生初めてのバリウム検査でした。初めて口にする物質に、どんな味がするのか興味深々で向かったところ、なんとバリウムに香料を添加できるというのです。しかも、その香料が10種類も!ヨシタケさんの言うとおり、多くの選択肢は人の幸せに繋がらないと改めて思い知らされました。不要な迷いと、「やっぱり違う味の方が良かったかな」なんていう不要な後悔を生んでしまいますね。検査どうこうより、僕はそんなことばかり考えてしまうのです。

オレンジ、レモン、マンゴー、ピーチ、ぶどう、いちご、ゆず、サイダー、コーヒー、バニラ…

どうして覚えているのかって?メモに書き留めていたからです。


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