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「意識」というものについて

ヒトの「意識」が、いつどうして生まれたのか、現代科学でも解明出来ていない。
ヒト以外の生き物にも「意識」があるのかどうかすら曖昧だ。
まぁ、犬や猫を見ていると「意識」がありそうな気もするが・・・。

そもそも「意識」が、なぜ出来たのか?
YouTube の動画に興味深いエピソードがあった。
「意識」は「無意識」を後追いして記憶しているだけ・・・というものだ。

ある研究では、ヒトが何かを決定してから行動に移すまでに0.5秒の時間が掛かるらしい。
しかし、プロ野球のピッチャーが球を投げてバッターがそれを打つまでに0.2秒しか掛からないと言う。
つまり、ピッチャーが球を投げるのを見てから打っていたら、絶対に打てないと言うことで、ヒトは、ピッチャーの行動を予測してバットを振っているのだ。

言い換えると、意識が決定を下す前に、無意識が決定していると言う事らしい。
何が言いたいかというと、ヒトの判断や行動に「意識」は重要な役割を果たしていないと言う事で、本当に重要なのは「無意識」なのだ。

それじゃぁ、なぜ「意識」が存在するかと言うと、一連の決定から行動に移すまでの判断を記憶に留め、「無意識」が、次の決定をする材料とするためだと言う。

それでも結局は「無意識」と言うヒトの判断を決定付けている「何か」が存在するわけだが、それらはどうも、脳のシナプスを伝わる電気信号の「統合作用」なのではないかと考えられているそうだ。

ヒトは、眠ったり麻酔にかかったりすると、脳内の電気信号が広範囲に伝播しなくなり「意識」が消失するそうだ。
深い眠りに入っているヒトに電気刺激を与えても、シナプスは、その部分だけしか発光せず、そこから脳全体に伝わらないと言う。

要するに「無意識」にしろ「意識」にしろ、情報の統合こそが、その「正体」と言えるのかも知れない。
それを担っているのは「脳下垂体」なのか「松果体」なのか「脳幹」なのか?

しかし、情報の統合が「無意識」や「意識」の正体であるなら、ヒトと、それ以外の動物とを分けているのは何なのか?
もしかすると、それが「自意識」と言う「我思う故に我あり」ってやつなのか?

じゃぁ「自意識」はどこにあるのか?
結局、堂々巡り。
「無意識」や「意識」が「情報の統合」であり、そこに「自意識」が生まれるとしても、それは何故なのか? どこに生まれるのか?
それが解明されれば、きっと人工知能にも「自意識」が芽生えるだろう。

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