一見、円了氏と姓名判断が結びつく要素など想像できませんが、ほとんど知られていない仰天の事実があるのです。『姓名判断を批判する人々(7):井上円了』の続きとして読んでいただくと、話が分かりやすくなります。
●哲学館を創立したとき、円了氏が発見したものとは?
さて、円了氏が哲学館(現在の東洋大学)を創立したとき、学生たちの名前について奇妙なことに気づきました。「哲」という字のつく学生が不自然に多かったのです。
いろいろ調べた結果、ひとつの確信に至ったようです。「名は実体を誘導し、かつ教育する(名前はその人物を、名前が示す方向に導き、教育する)」というのです。
『大日本教育会』という雑誌に掲載された論説『名称教育』によると、円了氏の考えは次のようなものでした。
●井上円了の「名称教育」
●「哲」の字は人を哲学に導く
円了氏は、「名は実体を誘導し、かつ教育する」と確信した経緯を、次のように説明しています。
●名は人を教育するが、万能ではない
円了氏は、実際に名前が人を教育した例も、いくつか挙げています。その一部を見てみましょう。
これらの実例は、批判的な見方をすれば、たまたま合致したケースだけを引き合いに出したとも考えられます。なぜなら、科学哲学者のカール・ポパーが指摘しているように、「ほとんどすべての理論について確認例ないし検証例を得ることが容易にできる」からです。[*2]
しかし、そこは円了氏のことですから、こうした批判は先刻承知だったでしょう。次のような反論を用意してあります。
●それから10年、円了の考えは変化したか?
そして、論説『名称教育』の発表から約10年後の明治35年〔1902年〕時点でも、円了氏は「名称教育」の考えを変えていませんでした。それどころか、いっそう確信を深めていったようです。
『円了茶話』の第九十一話には「名称教育」のタイトルで、次のような記述があります。[注2]
●井上円了と姓名判断
円了氏の心の内にこうした下地があったからこそ、のちに占い師の山川景國氏が自著『姓名は怪物である』(初版)を見せたとき、首尾よく円了氏から題字を取りつけることができたのではないでしょうか。
そうでなければ、円了氏が(おそらく彼が迷信と考えている)姓名判断の本に題字を揮毫することはなかったと思うのです。[注3]
実際、円了氏が字画数を使った姓名判断には否定的だったとの証言もあります。『名称教育精義』の著者、楠本博俊氏です。彼は一面識もない円了氏に手紙を書き、名称教育に関して便箋9枚もの返事をもらったそうです。[*3]
そこには、「私(円了)は、姓名の文字の意味がその人を感化するとは思うが、近ごろ流行している字画の運勢判断については、そんなことができるかどうか知らない」という意味のことが書かれていたそうです。[注4]
●円了にまつわる「真怪中の真怪」疑惑
楠本氏のこの話はたぶん本当でしょう。ですが、手紙の内容を確認できないので、証拠としてはちょっと弱いです。
一方、円了氏が姓名判断書に題字を書いた事実は否定しようがありません。しかも、山川景國氏の『姓名ハ怪物デアル』には字画数を使った技法がでていますから、楠本氏の証言とは矛盾します。
やはり、もっと直接的な反証がでてこない限り、円了氏が姓名判断を例外的に信じていたかもしれないという、「真怪中の真怪」疑惑を払拭するのは難しいようです。[注3]
※続編はこちら ⇒ 『井上円了と姓名判断<続>:「真怪」疑惑、いよいよ深まる』