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井上円了と姓名判断

一見、円了氏と姓名判断が結びつく要素など想像できませんが、ほとんど知られていない仰天の事実があるのです。『姓名判断を批判する人々(7):井上円了』の続きとして読んでいただくと、話が分かりやすくなります。

●哲学館を創立したとき、円了氏が発見したものとは?

さて、円了氏が哲学館(現在の東洋大学)を創立したとき、学生たちの名前について奇妙なことに気づきました。「哲」という字のつく学生が不自然に多かったのです。

いろいろ調べた結果、ひとつの確信に至ったようです。「名は実体を誘導し、かつ教育する(名前はその人物を、名前が示す方向に導き、教育する)」というのです。

『大日本教育会』という雑誌に掲載された論説『名称教育』によると、円了氏の考えは次のようなものでした。

『名称教育』(井上円了著、『大日本教育会雑誌 第106』所収)[*1]

●井上円了の「名称教育」

名称教育というは何であるか。名称というは物の名ということで、名称教育とは名の教育ということである。

名の教育というのは何であるかというと、物があればそれに必ず名がある。ここにひとつ建物があると、これに学校という名がある。また、その学校内には教師という名がある。生徒という名がある。いろいろの名がある。その名が人を教育してくれるということを申すのである。・・・

木村という苗字の人があると、その字についての意味がある。大石という名があると、その字に含んでいる意味がある。その意味が我が心を導いて教育してくれる力を持っている。そのことは教育家たるものは研究しておかなければならん。・・・

およそ人の教育というものは、学校に行って書物を習うばかりが教育ではない。・・・朱に交われば赤くなるとか、また善き朋友に交われば善人となるとかいうのは、すなわち善い人が我々を教育してくれるのである。

・・・山川の風景を見、高山大沢の間に住んでいると、自分の心も高山大沢につれて寛大になってくる。・・・昔から孟母三遷の教えがある。子供を教えるには住居を選ばなければならんのは、すなわち住居は教育する力を有するからである。

我々の平常接している万般の事物は、みな我々を教育するものである。・・・それならば我が身体に常に離れんもので、一番近く接していて、寝ても起きても眠っても覚めても、始終我が身に伴っているものは何であるか。その人の名であります。

・・・自分の名くらい自分に結びついたものはない。・・・それだけに結びついて離れぬものであるならば、きっと我を教育するに違いない。

井上円了 論説『名称教育』

●「哲」の字は人を哲学に導く

円了氏は、「名は実体を誘導し、かつ教育する」と確信した経緯を、次のように説明しています。

私の学校で人を二百人ばかり教育している。・・・その学校の名を哲学館という。・・・この哲学とはごく広い意味で、中に文学、史学、教育学をも教えておりますが、その生徒を調べてみると、ひとつ奇怪なことがある。その生徒の中に哲の字の付いた人が多い。・・・

〔寄宿〕舎生四十五、六人ある中に、哲の字の付いたのは三人ある。すなわち十五人に一人の割合である。その割合は少ないようだが、世間には哲という名はあまりない。しかるに哲学館の寄宿舎に、十五人について一人の哲の名があるというは不思議である。[注1]

例えば日本の人口は大数三千八、九百万あるとすれば、十五人について一人ずつの哲の名の割合にて算用すれば、二百五十万人以上、哲の字の人があるはずなり。しかるに、決してそんなにないに相違なし。

しからば哲学館にばかり哲が多くして、なぜほかの場所にないかと言えば・ ・・その生まれて以来自分に結び付いておる名が、その人を導くのであろうと思う。すなわち自分は哲という名だから、哲学をやってみようという考えが出たので、自分の名に導かれて自分が哲学の方に傾いてきたのである。

これを言い換えてみれば、哲という名がその人を教育したのである。しからば名が人を教育するということは、たしかの事実と思います。

井上円了 論説『名称教育』

●名は人を教育するが、万能ではない

円了氏は、実際に名前が人を教育した例も、いくつか挙げています。その一部を見てみましょう。

福沢諭吉という人がある。諭吉という名は、その人物とよく合っている。あのくらい幸福な人はない。その名を書いてみると、福沢という文字でわかる。また同氏は人を説諭することに巧みである。諭吉といって、諭すが上手と書いてある。

あるいは中村正直という人がある。これは実に名のごとく正直な人で、・・・すなわち自分の名が正直であれば、その正直という字に感化を受けて、自分もその名の通りになる。

井上円了 論説『名称教育』

これらの実例は、批判的な見方をすれば、たまたま合致したケースだけを引き合いに出したとも考えられます。なぜなら、科学哲学者のカール・ポパーが指摘しているように、「ほとんどすべての理論について確認例ないし検証例を得ることが容易にできる」からです。[*2]

しかし、そこは円了氏のことですから、こうした批判は先刻承知だったでしょう。次のような反論を用意してあります。

世間の人を尋ねてみると、名と実と合わぬものがある。名は正直であっても、正直でない人がある。

これ、名称は人を教育せざる証拠であると、こういう論を立てる人があるかも知らんが、今私が名称教育のことを述べて、名称は人を教育する力があると言いましたけれども、人を教育するは名称ばかりで、ほかにないという意味ではない。

名称教育は教育の一部分だというのである。我々を教育するものは、百も二百もたくさん他にあるのであるから、世間の人が名と実とことごとく一致しない者がたくさんあるがごときは、名称教育は教育中の一部分であって、そのほかの教育の名称教育を妨げるものが、たくさん相集まって教育するからである。

すなわち世間で名実反対する者がたくさんあるのは、そういう訳である。

井上円了 論説『名称教育』

●それから10年、円了の考えは変化したか?

そして、論説『名称教育』の発表から約10年後の明治35年〔1902年〕時点でも、円了氏は「名称教育」の考えを変えていませんでした。それどころか、いっそう確信を深めていったようです。

『円了茶話』の第九十一話には「名称教育」のタイトルで、次のような記述があります。[注2]

余はかつて、人の名はその人の性行を感化するに大いに力あることを唱え、名称はすべて教育の一助となることを論じたり。これを名称教育と名づく。

古今の大家・名士につき名と実とを比較するに、二者符号するもの多し。ここにおいて、ますます名称教育の事実なるを知るに足る。(漢字、かなの一部を現代表記し、句読点を変更)

『円了茶話』第九十一話「名称教育」[*1+]

●井上円了と姓名判断

円了氏の心の内にこうした下地があったからこそ、のちに占い師の山川景國氏が自著『姓名は怪物である』(初版)を見せたとき、首尾よく円了氏から題字を取りつけることができたのではないでしょうか。

そうでなければ、円了氏が(おそらく彼が迷信と考えている)姓名判断の本に題字を揮毫きごうすることはなかったと思うのです。[注3]

実際、円了氏が字画数を使った姓名判断には否定的だったとの証言もあります。『名称教育精義』の著者、楠本博俊氏です。彼は一面識もない円了氏に手紙を書き、名称教育に関して便箋9枚もの返事をもらったそうです。[*3]

そこには、「私(円了)は、姓名の文字の意味がその人を感化するとは思うが、近ごろ流行している字画の運勢判断については、そんなことができるかどうか知らない」という意味のことが書かれていたそうです。[注4]

●円了にまつわる「真怪中の真怪」疑惑

楠本氏のこの話はたぶん本当でしょう。ですが、手紙の内容を確認できないので、証拠としてはちょっと弱いです。

一方、円了氏が姓名判断書に題字を書いた事実は否定しようがありません。しかも、山川景國氏の『姓名ハ怪物デアル』には字画数を使った技法がでていますから、楠本氏の証言とは矛盾します。

やはり、もっと直接的な反証がでてこない限り、円了氏が姓名判断を例外的に信じていたかもしれないという、「真怪中の真怪」疑惑を払拭するのは難しいようです。[注3]

※続編はこちら ⇒ 『井上円了と姓名判断<続>:「真怪」疑惑、いよいよ深まる

=========<参考文献>========
[*1] 『名称教育』(井上円了著、『大日本教育会雑誌 第106』所収、明治24年〔1891年〕)
※引用文は漢字、カナを現代表記し、一部、句読点を追加・変更した。原文はP.302~P.307だが、画像は最初の部分のみ。
[*1+] 『名称教育』(『円了茶話』第九十一話 、明治35年1月)
[*2] 『推測と反駁』(K・R・ポパー、法政大学出版)
[*3] 『名称教育精義』(楠本博俊著、精華堂、昭和4年)

=========<注記>========
[注1] 名前に哲の字が付いた学生数
 『運命誘導 姓名鑑定法』(山川景國著)には、円了氏が哲学館を創立した時、「在学生の名前に哲という字を持っている者が半数以上あった」と語ったように書いている。しかし、どう考えても「半数以上」は多すぎる。円了氏の『名称教育』には「十五人に一人の割合」とあるので、山川氏の聞き違いだったのだろう。
<参考> 『姓名判断を批判する人々(7):井上円了

[注2] 名称教育の関連記事
 円了氏が書き残した名称教育の関連記事には、論説『名称教育』とこの随筆『円了茶話』のほか、機関紙『天則』の第三編 第八号に『名称教育の一例』がある。
<参考>『円了茶話』 第九十一話 「名称教育」(明治35年1月)
    『天則』 第三編 第八号 「名称教育の一例」(明治24年2月)

[注3] 円了と姓名判断との不可解な関係
 詳しくはこちら ⇒ 『姓名判断を批判する人々(7):井上円了

[注4] 円了からの返事[*3]
 楠本博俊氏によると、円了氏からの返事は次のとおり。

「文学博士 井上円了氏から快答〔原文のまま〕に接したる大正四年五月十六日付けの書名〔原文のまま〕を抄録せば、「拙者は姓名の文字の意味がその人を感化せしむる力ありとの説にして、近頃流行の画引等をもって運命を判知するは知り申さず候」とありて、余の尊信する金言であった。」(漢字・かなを現代表記し、句読点の一部を変更)


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