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「用字の禁忌」の信憑性

●「名は体を現す」なんて嘘だ!

作家の柴田錬三郎は『姓名について』のなかで、「姓名判断などというものは、全くのデタラメである。名は体を現す、というのは嘘なのである」と書いています。その証拠として、漢字の本家である中国では、帝王や貴族が後継者の幼名にとんでもない凶名をつけたことをあげています。

たとえば、晋の成公は「真っ黒な尻」、魯の成公は「よごれたひじ」、鄭の献公は「さそり」、司馬相如は「犬の子」、後燕の慕容農は「悪奴」、元の胡烈婦は「醜々」でした。だから、「その名が、その人の運命を支配する、などという判断は、はるか後世につくられたコジツケである証拠である」と言うのです。[*1]

わが国でも、古代においては同様の風習がありました。死神や悪霊からわが子を守るために、あえて汚らしい名前をつけたといいます。姓名判断ではイメージの悪い文字は運勢を損ねるとされますが、これが本当だとすれば、古代人は運の悪い人達ばかりだったに違いありません。

●動物の名

動物の名を人名に使うと凶作用がある、という占い師がいます。しかし、大和時代には動物の名前が多く用いられていました。

蘇我氏三代の実名は馬子うまこ(馬)、蝦夷えみし海老えび)、入鹿いるか海豚いるか)ですし、猿、鼠、雁、からすなどを用いた人名はたくさん見つかります。動物の持つ生命力への憬れ、動物の精気を我が物にしたいという願いから、当時はこうした名前が好まれたそうです。[*2]

また、前田太郎氏の調査によると、奈良朝およびそれ以前の人々は、動物に関係ある名で命名する風習があったそうです。その結果、獣類が最も多く、全体の45%弱になりましたが、これは十二支にちなんで命名したためです。[*3]

これを整理したのが下表です。『命名と漢字・仮名』(遠藤好英著)の表をもとに、若干修正させていただきました。[*4]

それにしても、牛や虎や熊などに混じって、コウモリやイタチまで出てくるのは驚きます。獣類以外の動物に関係した名もたくさんありますが、こんなにも動物名が使われていたのですから、大和時代、奈良時代の人々はいかに運が悪かったかがしのばれます。

中でも面白いのは、虫類の蜂、ミノムシ、毛虫、蝿など。このあたりになると、そろそろ古代人の感覚についていくのが難しくなってきます。もっとも、ミノムシや毛虫、蝿などを人名に用いた場合、運勢にどんな凶作用があるのかは不明です。この方面の詳しい研究は進んでいないようです。

●植物や季節・気象・天体の名

用字の禁忌を重視する占い師の多くは、植物や季節・気象・天体は枯れたり変化したりするので、それらの文字を使った名前は運勢的に凶作用があると考えているようです。

ところが中国ではこれと対照的です。『人名の世界地図』(21世紀研究会編)には、花、蘭、菊、蓮、薇、霞、雲、月などの文字が女性の名前として伝統的に好まれたとあります。

また『中国姓氏考』(王泉根著)によると、民間の名づけの風習に「節気法」というものがあるそうです。これは子どもが生まれた時の季節にちなんで名づける方法で、春華、夏雨、艶秋、暁冬、蘭貞、菊香、月桂、雪梅などを紹介しています。[*5-6]

●金属・鉱石の名

金属・鉱石を表す文字を禁忌する占い師もいますが、『中国姓氏考』には山西人の特徴的な名前の例として、石頭、石柱、鉄柱、金鎖、銀柱などがでています。いかにも屈強そうな名前ばかりです。両親は、生まれつきからだの弱い子どもにこうした名前をつけて、強くたくましく育つように願うそうです。

また『第三世界の姓名』(松本脩作・大岩川嫩編)にも、モンゴル人の名前として、トゥムル(鉄)、ボルド(鋼)、トゴー(鍋)、スフ(斧)などを紹介しています。[*7] [注1]

時代や地域が異なれば、文字に対して抱く期待やイメージにも大きな違いを生じるでしょう。つまり、これらは慣習の問題であって、運気的な作用をどうこうするものではない、ということかもしれません。

●幸運に恵まれそうもない名

『カナダ・イヌイットの個人名と命名』(岸上伸啓著)によると、カナダ極北地域に住む先住民のネツリック・イヌイットは名前に霊魂が宿ると信じているそうです。そして、名前の霊魂は個人の守護霊であり、名前を新生児に付けるのは、その子供の身体を守り、健康を増進させるためです。

彼らは、子供が多くの名前を持てば持つほど、健康で長生きすると信じているのです。そのため、生まれてきた子供には多数の名前が付けられるそうです。[*8]

ラスムッセンという人が20世紀の初めに調査したところ、ある女性は全部で13の名前を持っていましたが、これが面白いのです。

キロルシャック(粗雑な縫い方)、アナハック(大便をしたばかりの人)など、いったい何を守護してくれるのか想像もできない奇妙なものから、アナイブラック(木片で殴られてしまった人)やテルサクルク(だましやすい不幸な者)といった、どうみても幸運には恵まれそうもないような名前もあったそうです。

これなどは「名前の表面的な意味からは、必ずしも運勢の良し悪しは判断できない」ということを示す好例とも思われますが、いかがでしょうか。

●中国の「六避」

ことによると、こうした用字の禁忌は中国の名づけの習慣が誤伝されたものかもしれません。わが国は昔から中国の影響を受け続けてきたので、大いにありそうなことです。

古代中国では「六避」といって、命名に関する六種類の禁忌があったそうです。具体的には、人名に国名、官名、山川名、病気名、犠牲にする畜類名、祭儀用の器物や供え物の名を用いなかったのです。[*9]

病気名は不吉ですから、これを人名に使わないのはともかく、あとの五つはなぜでしょうか。それは死者に対する礼として、生前の名前を忌みはばかって用いない習慣があったからです。これが「いみな」、つまり「忌み名」です。

もし重要人物の名前が国名、官名、山川名と同じだったりすると、その人物が亡くなったとき、国中が大混乱に陥ります。死者の名前を用いてはいけないとなれば、国名、官名、山川名をすべて変えなくてはなりません。このように古代中国の「六避」は現実的な理由がありました。[注2]

●中国の諱

子供の名に親の1字をとるとか、兄弟で同じ字を使うと、運を奪い合うなどという占い師もいます。これも中国のいみなをヒントにしたのかもしれません。

王や聖人・貴人が亡くなった場合、その人の名を忌みはばかって用いないことは、先ほど述べたとおりです。代々の天子の諱などは天下一般を通じて用いず、死後の名前であるおくりなで呼ぶのが礼でした。誤って用いたりすれば、大不敬罪に問われたそうです。[*10] [注3]

同じことが君父に対しても行われ、君父の名を諱として避ける風習があるのです。

中国においては、父祖の名を一字でも侵すことは「人倫の反逆者」とさえ言われるほどで、書道家として有名な王羲之の子たちが「之」を継いだのは、かなり珍しいことだったそうです。[*11]

●通し字(通り字)

ですが、これは中国の話であって、わが国ではむしろ昔から親の一字をつぐのが一般的でした。これを「通し字」とか「通り字」というそうですが、源氏であれば義の字、平家であれば盛の字というように、その一族の大半は同じ文字を用いています。 [*11-12]

中国に比べて異民族の侵入が少なかった日本では、閉鎖的で安定した社会が続いたことで継続性が育まれ、このような習慣が根付いたようです。

親の一字を子が継ぐだけでなく、兄弟で同じ字を使う例だっていくらでもあります。

藤原氏なら、まず冬嗣の息子たちは長良、良房、良相、良門、良世で、基経の息子たちは時平、仲平、兼平、忠平で、忠平には師輔、師氏、師尹がいて、兼家には道長、道兼、道綱、道隆がいました。

北条氏なら時政の子に時房、義時がいて、時氏の息子たちは経時、時頼、為時、時定で、時頼には時宗、時輔、宗政、宗頼がいました。

また源経基には満仲、満政、満季、満快、満重が、平高望には良兼、良将、良文、良茂が、足利義満には義昭、義教、義嗣、義持が、徳川家康には信康、秀康、秀忠、頼宣、頼房がいました。

きりが無いので、このくらいにしておきましょう。

●通し字を推奨する占い師

本居宣長に師事した江戸時代の国学者 藤井高尚も、こうした日本の通し字のことを「大変よい習慣だ」といっているそうです。[*11]

こういうと、「それは学者の見解であって、姓名判断の観点はそうしたものとは異なる」という反論があるかもしれません。ですが、山口裕康氏のように通し字を推奨する占い師もいるわけですから、同業者でよく話し合ったほうがいいでしょう。[*13]

選名に際しては、・・・親子兄弟、一族一門を表示することができるならば、最もよろしかろうと思われます。平家の十三盛――貞盛、清盛、重盛、宗盛など――のごとく盛の字を用いたり、源氏の、義家、義光、義國、為義、義朝、義経などのごとく多くの義の字を用いたり、徳川氏が家康以来十五代までのうち、十一代はことごとく家の字を用いましたように、一族一門を一見して知られるようなものであります。(漢字を一部かなに書き換え)

『名相と人生』(山口裕康著、東学社、昭和11年刊)


=========<参考文献>=========
[*1] 『姓名について』(柴田錬三郎著、『日本の名随筆82 占』所収、作品社)
[*2] 『日本人の名前の歴史』(奥富敬之著、新人物往来社)
[*3] 『動物名に因んだ古代の人名』(前田太郎著、『外来語の研究』所収、岩波書店)
[*4] 『命名と漢字・仮名』(遠藤好英著、『漢字講座4 漢字と仮名』所収、明治書院)
[*5] 『人名の世界地図』(21世紀研究会編、文春新書)
[*6] 『中国姓氏考』(王泉根著、第一書房)
[*7] 『第三世界の姓名』(松本脩作・大岩川嫩編、明石書店)
[*8] 『カナダ・イヌイットの個人名と命名』(岸上伸啓著、『名前と社会』所収、早稲田大学出版部)
[*9] 『中国姓氏考』(王泉根著、第一書房)
[*10] 『諸子百家<再発見>』(浅野裕一・湯浅邦弘著、岩波書店)
[*11] 『名前の禁忌習俗』(豊田国夫著、講談社)
[*12] 『名前の研究』(星田晋五著、近代文芸社)
[*13] 『名相と人生』(山口裕康著、東学社、昭和11年刊)

==========<注記>=========
[注1] 魔物に退散を願う名前
 同書にはネルグイ(名がない)、エネビシ(これでない)、フンビシ(人間でない)などの奇妙な名前も出てくるが、『名前と人間』(田中克彦著、岩波新書)にも、同じくモンゴル人の名前で、テレビシ(あれでない)、ヘンチビシ(誰でもない)などが紹介されている。
 これらの名前の目的は、病気や災厄をもたらす魔物に退散願うためのものとしている。死亡率の高かった乳幼児の健康と安全を願った、親の祈りの名づけである。

[注2] 中国の「六避」
 こうしたことが過去に実際に起こったという。たとえば、司徒、司空はもともと周代の官名だったが、晋の僖候の名が司徒だったので、彼が死んだとき官職の司徒を廃止し、宋の武公の名が司空だったので、同じく司空を司城に改めた。また、魯の国の献公は名を具といい、武公は敖といったので、国内にあった具山、敖山の山名を改めたともいう。
 犠牲にする畜類名や祭礼用の器物や供え物の名でも同じことが起こる。もし死者の名前がこれらと同じ場合、国家的な祭儀に重大な支障をきたすことになる。

[注3] 「筆禍」事件
 科挙の答案や皇帝への上奏文に諱をそのまま使ったため、死罪になった者までおり、これを中国の「筆禍」事件というそうだ。諱を敬避する方法としては、その字を他の同訓(同意)の字に改める、その字の最後の一画をわざと書かない(欠筆)などがあった。例えば、孔子の名は丘であるが、中国人は大聖人の諱を敬避するため、決してこの字を使わない。丘の文字のかわりに「邱」と書くという。

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