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その「姓名判断の起源」説ってホント?

●さまざまな「姓名判断の元祖●●」説

姓名判断の 元祖 については、昔から諸説がありました。明治期の著名な実業家で易学者の高島嘉右衛門を元祖とする説、徳川幕府の黒衣宰相ともいわれた天海僧正を元祖とする説などです。[注1]

ただ、いずれも根拠に乏しいだけでなく、否定的な状況証拠が目立ちます。

このほかにも、明治末期から大正期にかけて、「われこそ元祖なり」と主張する占い師が大勢あらわれました。昭和ともなると、さすがに元祖を僭称する占い師は影を潜めますが、怪しげな元祖説はときどき浮上してきます。

近年では、あやうく都市伝説になりかけた「とんでも説」が、初学者を混乱させた例もあります。[注1]

●さまざまな「姓名判断の起源●●」説

姓名判断の 起源 についても、いくつかの説があります。一番もっともらしいのは、古代中国を起源とする説です。確かに古代中国にも姓名判断らしきものはありました。

『春秋左氏伝』という古典には、不適切な名づけから、その子の家系の廃絶を予言する話がでています。ただ、これは現代の姓名判断とは全く異質です。文字の画数さえ使っていないのです。[注1]

また、昭和初期までの姓名判断では陰陽説や五行説を応用した方法が常用されました。そのため、姓名判断の起源は古代中国の陰陽五行説だ、などと言われることもあります。[注1]

ですが、現代の主流は字画の合計数で吉凶判断する方法です。この技法では「数それ自体に吉凶がある」と考えるので、そもそも陰陽説や五行説とは無関係です。

●字画数で吉凶を占う姓名判断の起源と元祖

では、字画数で運勢を占う方法の起源は、実際のところどうなのでしょうか。字画数を用いた姓名判断の方法はいくつかありますが、以下の4種が代表的なものです。[注1]

① 字画数で易(梅花心易)の掛を立てる方法
② 字画数(または字画の合計数)それ自体で吉凶を判断する方法
③ 各文字の画数を陰陽に置き換え、その配列で吉凶を判断する方法
④ 各文字の画数を天・人・地の三つに分け、その相互関係で吉凶を判断する方法

現代の主流は②ですが、これと③は明治中期に菊池准(準)一郎という占い師が創始(『古今諸名家 姓名善悪論 初編』1893年)した純国産です。また④は昭和前期の占い師、熊﨑健翁氏の作です。[*1]

そして最も古いと考えられるのが①の梅花心易です。この方法は少なくとも江戸前期には知られていました。『韻鏡秘事大成 五』(小亀益英著、1679年)の第十九「易卦之事」には、易を用いた姓名判断の方法が記されています。[*2] 

●初学者を悩ます、さまざまな誇大妄想説

「字画数で占う姓名判断の起源は西洋数秘術(ゲマトリア)だ」などという奇説もあるそうです。どんな意図があるのか想像もつきませんが、あれこれ理屈をこじつけるにしても、かなり無理がある説です。

年代的にも矛盾していますが、それより西洋数秘術(ゲマトリア)の原理を誤解しているのではないでしょうか。

まず、西洋数秘術(ゲマトリア)の最も古い和文献は、調べた限りでは、大正3年刊〔1914年〕の『西洋式数字姓名判断』(中根函洲著)です。著者の緒言からは、この方法を初めて日本に紹介する意気込みが感じられます。[*3]

しかし、前出②③の出典『古今諸名家 姓名善悪論 初編』(菊池准一郎著)は明治26年刊〔1893年〕なので、時期が20年以上も前後しています。まして、前出①の最も古い文献『韻鏡秘事大成 五』(小亀益英著、1679年)は江戸前期ですから、比較するまでもありません。

次に、西洋数秘術(ゲマトリア)は、ヘブライ文字が文字であると同時に数も表していることを応用した占いです。そこで、単語や名前の文字を数に変換できるのです。[注1]

原理的に画数などという概念が入り込む余地はないのです。この奇説の致命的な欠陥といえるでしょう。こんな誇大妄想に取り憑かれる前に、ヘブライ文字を一度でも見ておくべきでしたね。

私が姓名判断の調査を始めたばかりの頃、こうした無責任な誇大妄想説にはずいぶん悩まされました。

たとえば、「姓名判断には呉流、漢流、古流の三つの流派があり、漢流だけが日本に伝わった」などと、途方もないデタラメを書いている占い師が結構いるのです。まったくもって迷惑千万な話です。[注2]

起源説以外でも、相当ひどいものがあります。「孔子は、姓名の文字が持つ霊がその人の運勢を操っている、と説いている」などという占い師がいますが、これなどは読者を馬鹿にしきっています。『論語』を実際に読めば、すぐにバレる嘘ですから。[注1]

ここまで断定的に書くからには、勘違いや記憶違いのはずがありません。ほとんど詐欺です。

●知的な誇大妄想説なら許せる場合もある

この手の誇大妄想説に比べれば、「テレビドラマ『水戸黄門』で有名な徳川光圀は、字画数の吉凶を気にして、國(国)→ 圀に改名した」という説のほうが、はるかに真実味があります。

「圀」は武則天(則天武后、624?~705)が作った文字(則天文字)のひとつですが、彼女の死去とともに則天文字はすべて廃止され、光圀の実名以外では残っていないそうです。[*4]

そんなに珍しい字なら、特別な理由もなく使ったりしないだろうと思いますよね。[注3]

=========<参考文献>=========
[*1]『古今諸名家 姓名善悪論 初編』 (菊池一郎著、天命堂、1893年)
[*2]『近世韻鏡研究史』(福永静哉著、風間書房、平成4年)
[*3]『西洋式数字姓名判断』(中根函洲著、氷心堂、大正3年〔1914年〕)
[*4]『則天文字の研究』(蔵中進著、翰林書房、1995年)
[*5]『光國は何故光圀と改名したのか : 黄門さまから考える歴史秘話と歴史の真偽』(十川昌久著、歩いて郷土の歴史を学ぶ会、2007年)

==========<注記>=========
[注1] 本項で参照した当ブログの記事
「姓名判断は中国四千年の歴史」は本当か?
「姓名判断は我が国百年の歴史」が本当だ(1)~(6)』
発掘!「現代の姓名判断」の起源(11)<補足>
Q:「陰陽五行説の応用」と言われるのはなぜ?
Q:熊﨑健翁氏が姓名判断の元祖と言われるのはなぜ?
Q:画数を用いた姓名判断が中国発祥と誤解されるのはなぜ?
数秘術の信憑性(1):カバラとゲマトリア
孔子は命名を重視したか?

[注2] 誇大妄想的な起源説
 この著者を個人攻撃する意図はないので、書名、著者名を記すことはしない。どうしても確認しないと気が済まない人は、昭和54年刊、昭和55年刊を手がかりに、ご自身で2冊を探し当ててください。なぜ2冊か?奇妙なことに、この両書は書名も著者名も違うのに、ほぼ同じことが書いてある。

[注3] 光圀の改名 [*5]
 光圀は9歳で元服し、「光國(国)」と名乗ったが、これは中国古書の「聖徳龍興して大国の光を有す」という一節に由来するとのこと。しかし、「大国の光を有す」とは天子(日本では天皇)を意味するので、天皇の臣下である大名には相応しくない。そこで、学問の師である朱舜水の意見も参考にして、「光圀」に改名したそうだ。
 則天武后が「圀」の字を作った理由は、「国」の旧字体(國)は国構えの中が「惑う」の字なので、気に入らなかったからという。
 字画数の吉凶で姓名判断する方法は明治中期の作なので、これを光圀が使ったとは考えにくい。だが、もし梅花心易のことであれば、改名は1679年〔別説1683年〕、小亀益英の『韻鏡秘事大成 五』は1679年で、時代的には重なる。光圀が字画数を用いた梅花心易で姓名判断した可能性は残る。


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