Q:熊﨑健翁氏が姓名判断の元祖と言われるのはなぜ?
A:熊﨑氏が現代で最もポピュラーな形式を考案し、広めたからです。しかし、基本型の多くは明治・大正期からあったので、元祖というより、「中興の祖」に近いでしょう。
●現代の形式を確立した熊﨑健翁氏
熊﨑氏は明治・大正期からあった技法を取捨選択し、新しい形式に改変しました。
熊﨑氏より以前の姓名判断は以下の五つの技法からなり、五則と呼ばれていました。熊﨑氏の形式が広まるまでは、姓名判断といえば、ほぼこの「五則」といってもよかったのです。[注]
熊﨑氏はこの中から①だけを取り出しました。そして、従来はなかった「人格」と「外格」を考案・追加し、全体で五格としたのです。「~格」というネーミングも熊﨑氏の考案です。
「渡辺直美」さんの名前を例にすると、次のようになります。
また、従来の技法②~⑤を捨てる代わりに、新技法の「天地人三才」を創案しました。さらに大正初期に作られて、しばらくは業界で不人気だった「音霊」と「音韻五行」の技法も取り入れました。[注]
以上のほか、いくつかルールも変更しています。
●熊﨑健翁氏の姓名判断
熊﨑式の特徴をまとめると、次のようになります。この中で熊﨑氏より以前に無かったものは、技法変更では①の人格・外格および②、ルール変更では②です。これらは熊﨑氏の独創と言えるでしょう。
このうち技法変更①の「数霊」、つまり姓名の字画数を五格に分解する形式(五格剖象法)は現代の多くの流派に引き継がれ、今や「姓名判断といえば、これ」というくらい定着しました。
その影響力の大きさを考えれば、熊﨑氏を元祖と勘違いする人がいるのも頷けます。
●「現代の姓名判断」の本当の元祖とは?
しかし、ここはやはり真の元祖に敬意を払い、菊池准〔準〕一郎氏の名前を挙げるべきでしょう。
菊池氏の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』(明治26年刊〔1893年〕)こそ、「数霊」による吉凶判断を初めて紹介した姓名判断書なのです。彼がこの本を書かなければ、未だに私たちは江戸時代に流行った古風な方法で運勢を占っていたかも知れません。[注]
また、菊池氏の『古今諸名家 姓名善悪論 初編』を整理・肉付けして、姓名判断の「五則」を確立したのが、海老名復一郎氏です。彼が『姓名判断 新秘術』(明治31年刊〔1898年〕)を書かなければ、後の占い師たちは種本にするものが無かったでしょう。[注]
さらに海老名氏と同時代に、佐々木盛夫氏が報知新聞に姓名判断の連載記事を書かなかったなら、そして高階鏡郭氏が佐々木氏を援助しなかったなら、明治末期から大正初期の第一次姓名判断ブームは無かったかもしれません。[注]
昭和前期の占い師、熊﨑健翁氏がこの業界で一世を風靡する以前に、「現代の姓名判断」にはこれだけの忘れられた過去があったのです。
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