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技法の信憑性(1):陰陽(乾坤)

●「陰陽」の判断法

「陰陽」(「乾坤けんこん」ともいう)は、明治中頃に「数霊」と同時に登場した技法です。占い方は単純で、字画数が奇数なら〇(陽)、偶数なら●(陰)で表わし、その並び具合で吉凶を決めるのです。

古代中国の陰陽思想では、万物は陰と陽からできているとするので、漢字も字画数で陰陽に分けられるだろう、という発想がもとになっています。姓名が「山田太一」さんなら、次のようになります。

 山(3画)、田(5画)、太(4画)、一(1画) ⇒ ○ ○ ● ○

○と●の配列パターンを吉とするか、凶とするか、占い師の評価が一定しないのは「数霊」と同様です。なお、評価の比較表は割愛します。大半が吉と凶の2分類なので、見ても退屈なだけですから。

この技法は、数霊法を除くと、「音霊」とともに利用頻度が高く、占い師の約3割が用いています。気になるのは、占い師の人気度より信憑性です。ここはひとつ、同業者に辛口コメントをお願いしましょう。

●「陰陽」を無意味とする弱い批判

織笠繁蔵氏はこの技法に批判的です。『新姓名判断』の中で、およそ次のように書いています。

そもそも字画で陰陽を分けたのは易の成掛から出たもので、したがってその配置はすべて八卦の配列によるべきだと教えられている。

 ところが後世、その因ってきたところを忘れて、ただ文字には陰陽がある、これを配列したら何か意義が生じなくてはならないと考え、碁盤に黒白の石を並べるようなつもりで‘押さえ陰陽’だとか‘挟み陰陽’などといい加減なことを言い出し、さも特別な意味があるように見せかけたのだろう。

 だが、さすがに根拠が無いことを知っているので、陰陽の配列を運命全体に関係させることをはばかり、単に健康や病気といった身体に関することだけに、その支配権を縮小したものと見える。その証拠に、この陰陽の原理について世の占い師に質問して見よ、おそらく一人として満足な説明を与えるものは無いだろう。

『新姓名判断』(織笠繁蔵著、大正2年刊)

「陰陽」の技法は本来の道筋をはずれて無意味な解釈をしている、だから役に立たない、というのがこの著者の主張です。

しかし、技法の起源が怪しくても、その技法が役に立たない証拠にはならないでしょう。「実効性がない」と断定するには、もう少し強力な証拠が欲しいところです。

●「陰陽」を無意味とする強力な証拠

ところが、もうひとりの同業者、太乙道人氏は『姓名と運命』の中で、その強力な証拠を示しているように思えます。字画数からその文字の陰陽を判別すること自体が不合理だ、というのです。

例えば天の字は四画、地の字は六画、ともに偶数であるから陰の数とせねばならぬ、文字そのものがすでに天と地と各別に示しているのに、同じく陰に属すとは滑稽の極である。

『姓名と運命』(太乙道人著、東亜堂、大正3年刊)

つまり、こういうことです。古代中国の陰陽思想では、天には陽の気、地には陰の気が満ちていると考えるので、天は陽、地は陰でなければならない。

ところが、字画数の奇数、偶数で文字の陰陽が定まるとした場合、陽であるはずの天が陰に分類されてしまう。これは明らかに矛盾であるから、字画数で文字の陰陽は判別できないことになり、結局、この技法そのものがアテにならない、という論旨です。

はじめてこれを読んだとき、あまりに明快な論理に「なるほど」と深く感心したものです。この技法を用いる占い師がどう反論してくるか、非常に興味がありますが、寂しいことに、かれこれ100年以上も沈黙が続いています。


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