姓名判断は「統計」とは言いがたい
●流派間の矛盾は「統計」でない証拠
姓名判断は流派や占い師が違うと、同一漢字の画数が違ったり、同一画数の吉凶が違ったりします。それぞれの矛盾は明らかなので、彼らの主張に統計上の根拠が無いのは確実です。
「しかし、占い師Aと占い師Bが判断のルールだけでなく、数の吉凶や意味も違っていたら、矛盾がうまい具合に帳消しになるのでは?」そうだといいのですが、残念ながら矛盾の解消は難しそうです。
●どの流派が当たっているか比較できる名前がある
下の画数合計は「田中大吉」さんの例ですが、田、中、大、吉の4つの漢字はどれも戦前から使われている字体です。「手へん」や「草かんむり」など、康熙派が変則的に画数を取る部首も使われていません。
つまり、占い師が新字派、旧字派、康熙派のどれに属していても、判断に用いる①~⑤は同じになるのです。戸籍の字体や常用の字体も同じはずです。ニ字姓、ニ字名ですから、1を足すかどうかの問題もありません。
① 田(5画)+中(4画)= 9
② 中(4画)+大(3画)= 7
③ 大(3画)+吉(6画)= 9
④ 田(5画)+吉(6画)= 11
⑤ 田(5画)+中(4画)+大(3画)+吉(6画)= 18
要するにどういうことか?
数霊法で「田中大吉」さんを占う場合、大多数の占い師はみな同じ①~⑤を用いるわけですから、それぞれの結果を比較すれば、どれが当たっているか簡単に決着がつくでしょう。もしこの作業をしていたら、数(画数の合計)の吉凶や意味が占い師ごとに違うはずはないのです。
そして数の吉凶と意味が統一されてしまえば、新字体or旧字体、1を足すor足さない等のルールについても、同じ要領でおのずと当否が決まるのです。このようにして、当たらなかった流派は徐々に淘汰され、最終的には限られた流派に収束していくと予想されます。
ところが実際はそうならず、反対にたくさんの流派に枝分かれしてきました。そして、すでに半世紀以上が経過しました。これは、当らない流派が淘汰されるには十分すぎる年月です。
●姓名判断は「統計」とは言いがたい
この状況からすると、姓名判断はとても「統計」とは言えないでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。田中大吉さんの例は極めて特殊なケースなのかもしれません。この点はもう少し調べてみる必要がありそうです。
そこで手元の電話帳を使い、流派が違っても①~⑤の画数合計が同じになる人の割合を調べてみました。その結果、このような姓名は全体の約10%もあることがわかりました。つまり、田中大吉さんのような姓名はそれほど特殊ではなかったということです。[注]
10人に1人の頻度でルールや解釈をチェックする機会があったのなら、もし客観的に比較検討していれば、大多数の流派はとっくに淘汰されていたでしょう。
「姓名判断は観察にもとづいて統計学的に作られた」とする説がありますが、以上のことからすれば、この説は「都市伝説」と考えたほうがよさそうです。
なお、厳密に調べようとすれば、地域による姓の偏りや、特定の漢字の使用頻度、かな文字名の混在なども考慮しなければなりません。例えば、一字姓の林さんは北陸・近畿・中国・四国地方に多く、森さんは四国・中国地方に多いそうです。(『お名前風土記』佐久間英著、読売新聞社)
また、印象の良い漢字は使用頻度が高く、逆に不吉なことを連想させる漢字はめったに使用されません。それによって文字の使用頻度に偏りが出ますが、おおざっぱな割合としては、上記の約10%という数字は悪くないと思います。