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【備忘・まとめ】失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

読んだ後に個人用にメモった程度のものです。ご了承ください。

失敗は費用対効果が高いが、学習が難しい。

失敗を学習することで次の機会から得られる効果を最大化することができる
状況は常に一定ではなく、また人はプログラムではないので失敗は付き物と考えるのが自然

(本の中で出てきた医療業界の)問題でいうと必要な知識や情報が、使用に適したシンプルで効果的な形に置き換えられていないこと。航空業界でも、もし何ページにも渡る容量を得ないデータを共有するとなれば、臨床医が医学雑誌で毎年70万件も発表される論文と戦っている状態と変わらなくなるだろう。そんな形の情報は扱いにくい。しかし、航空事故の調査レポートでは、情報を(精製)して現実的に要点をまとめてある。

学習機会を作り出すことは、もちろんだけど学習が行える実現可能な仕組みを構築していくことも同等に重要である。
本書では医療業界と航空業界での事故率の差分を引き合いに出し、根本原因を仕組みにフォーカスして説明している。

人は自身を否定するような失敗に出くわすと事実を歪める

いわゆる「認知的不協和」というもの

自分の信念と事実が矛盾している状態、あるいはその矛盾によって生じる不快感やストレス状態を指す。人は大抵、自分は頭がよくて、筋の通った人間だと思っている。自分の判断は正しくて、簡単に騙されたりしないと信じている。だからこそ、その信念に反する事実が出てきたときに、自尊心は脅かされ、おかしなことになってしまう。矛盾が大きすぎると心の中で収拾がつかず、苦痛を感じる。

そんなときに人は大きく2つの行動パターンに出る。

1つが素直に自分の信念が間違っていたと認める方法。自分が有能ではなかったんだと認めるために、精神的な苦痛が大きい。
2つ目が否定である。事実をあるがままに受け入れず、自分の都合の良い解釈を付ける。あるいは事実を完全に無視したり、忘れてしまう。そうすることで信念を押し通すことができるのだ。

本書ではカルト集団の例が用いられていた。

認知的不協和の裏側にある人の心理として2つの心理特性・傾向が紹介されている

「気質効果」と「確証バイアス」

「気質効果」とは、人間がプライドを守ろうとしたり、後悔を避けるように行動したりする傾向
「確証バイアス」とは、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向

だから、確証バイアスについては、「あえて間違えろ」つまり、反証を繰り返して、確証バイアスから抜け出しファクトを捉えられるようになろう、と紹介されている

成長する人の頭の中も紹介されている

身体生理学の側面からも脳波などの実験を引き合いに、またアンケート結果を含めて、成長する/しない人の思考の違いを説明している。
大きく2つの「固定型マインドセット」と「成長型マインドセット」に分けて説明している。

「固定型マインドセット」は生まれつき才能や知性に恵まれた人が成功すると考えており、失敗の原因を「自分に才能がないから」と受け止める。

「成長型マインドセット」は逆というか、後発的に能力は向上していくと考えており、失敗を能力開発のステップとして捉えている。
これは、個人のマインドセットの紹介であるけど、組織のカルチャーと評価システムにも同様のことが言える。

事前検死っていうシミュレーション

失敗から学習することが大事なんだけど、失敗とは何ならかのコストを払うことだから、そのコストを押し下げられると学習のROIを高めることができる。
事前検死っていうソリューションがあって、何かを実施する前に、「実施後に失敗しましした」っていうシチュエーションを想定して、何で失敗したのかを検討する、という方法である。
例えばだけど、「あなたは既に死んでいます。何で死にましたか?」っていう問を投げ、原因の洗い出し、そこから失敗が見えてきて、防止策を事前検討できる、ということだ。

面白いと思ったこと

最近の世の中の風潮としてでは「成功は容易く手に入れられる」があると「個人的に」思っている。youtubeやSNSなどを見ていても、綺羅びやかな結果のみにフォーカスがあたり、プロセスや泥臭さに対しては紹介がされないし、過程の想像ができないから。で、「いいから会社辞めてチャレンジしなよ」的な無謀なアドバイスないし、解釈を経て極端なアクションを起こす人がいる(twitterでみたくらい)。
上記のように触発されて極端なアクションをとってしまう人の心理として「外的な評価(承認欲求)」が動機として強い(と思っていて)。それを得るために、①成果、②極端なアクションをとったプロセスでの評価を得る必要があるんだけど、短期的に楽して得たいから②を選択して、極端なアクションになってしまう(んだろうって思う)。(自分のその気がある)
ジャストアイデアでしか無いけど、「失敗ありきのチャレンジしたことを称賛する文化・発信」があってもいいなって思った。綺羅びやかな結果へのフォーカスではなくて、泥臭い失敗挑戦にフォーカスが当たると、焦点がずれて、「チャレンジ」自体への動機が湧いていくと思うから。(当然、そのための社会のセーフティーネットは必要なんだけど。)

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