無い物ねだりの話

※どんなに突散らかろうとも下書き保存せずに投稿します。3日坊主すらできなかったので。。。

趣味は「読書」です。
とはいえ、本を読む量は学生時代よりも全然少ないし、過去に読んだ本の再読を除くと、月に1冊も読んでいないんじゃないかと思うので、こんなで趣味として良いのかとか考えてしまうところもある。
そんな話じゃなくて、なんとなく手に取って読む本ってその時、自分が欲しているものなのかもしれない。私のそれは、無い物ねだりでは無いか。そんな乱文が以下に書かれます。書く予定です。

最近、書店でジャケ買い・帯買いして楽しんだ本はこの子たち。
「マカン・マラン」シリーズ 古内一絵
「サバティカル」 中村航
「わたしの美しい庭」 凪良ゆう

どの本も口当たりの良い読みやすい「日常」を描いた作品。
社会の「普通」ではない人、「普通」に馴染み難い人たちの短編連作的な。
社会の「普通」じゃなくて、自分の「普通」であれば良いんだよって収まる物語。
世界が劇的に変わることは決してないけど、小さく変えることはできる。
美味しいご飯が食べたくなる情景。

強い意志を持って選んだ本では無いけど、総じてこんなことが書いてあった。
本を読むことは別の人生を生きることだと言うのであれば、これらの本を読むことで幾つの人生を生きたのだろうか。それぞれの辛さがあり、どれも「わかる」気がして、解決はできてないこともあるけど、受け入れてもらえるコミュニティがあることが心強くて、読んでいてずっとうらやましかった。
どれも社会人のお話なので、私もその世界線に行きたいと切に願う。

私は寝る前に人生の反省会を毎夜開くタイプの人間なので、基本的には後悔ばかりがあるタラレバ娘なのだ。そして上記の本に出てくる人物たちは、初っ端こそウジウジしてたり卑屈だったりしても、シリーズのキーマンとの交わりによって自分の人生と向き合うようになるけれども、そんなことがどうしたら実現できるのかと考え込んでしまった。
夜中にキーボードを叩いても、ひとり。ぢっと手を見る。

人に素直に相談できる、自分の弱い部分を見せられる、そんな人間になりたくてそういう本を読む。美味しいご飯を作りたくて、友達が欲しくて、冒険がしたくて、青春を謳歌したくて、そういう本を読む。現実の自分は何も変わらず、読書に費やした時間の分だけ歳を取っただけ。
そう考えてしまったら、好きなことなのにしんどいかもと思ってしまった。でも読まずにはいられない。
だからわたしにとって、本を読むこともテレビや映画を見ることも現実逃避なのだなと明確になるわけだが……決して作品の主人公に自己を投影しているわけではないんだよな。

私は世界の壁になりたい。壁になれないなら、本の人たちみたいに、せめて卑屈から脱出するための出会いが欲しい。それは欲が深いかもしれない。そう言うのが無い物ねだりだなと。無から有は有無出せないものね。

あー、やっぱりまとまりのない散文ができた。仕方がないね。ここまで。

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