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父の髪を切って

父90歳、母84歳。
ヘルパーさんや、兄姉の支援を受けながら、二人で暮らしている。

昨日は3ヶ月ぶりに、両親を訪ねた。

母は、なんだかますます背中が曲がってひょこひょこ歩きになっている。
父は腎臓癌があると診断を受けてから大分になるが、それでもこれまで元気にしていたのに、急にガリガリに痩せてしまって。

ほぼ毎日電話で話してはいたので、声で調子がわかる、と思っていた私にとって予想外の様子に、少し気持ちが落ち込む。


「あれ、痩せたね。」「お義父さん、痩せましたね。」主人も同じ気持ちだったのか、普段のトーンで私に続いて言った。

「おー、食べられんのだ。ガリガリだよ。」
と、肋骨をさすって見せるけれど、真夏だというのに重ね着をしていて、何か見えるわけでもない。
ただ、薄暗くて、老いた二人が持て余してごちゃごちゃに積み重なった物の間で、ポツンと座り込んで、掠れた声で脇をさすって見せるその姿は、今まで見たことのない父だった。

私は一旦トイレに離れたが、さよならを遠くない日に覚悟しなければいけないのかと、そんなことさえ一人思った。


***

まず、髭が伸びて、こけた頬をいっそう貧相に見せているし、それ以上に、伸びっぱなしにも程があるぞというほど髪が伸びいて、どこの病院行ってもアブナイ爺さんだって看護師さんに嫌がられんじゃないの、と思った。首に巻きついている。

父は昔から、気功だの太極拳だの、東洋哲学的なことが好きで、作務衣に肩まで髪を伸ばし、後ろで括る姿が、「仙人のようだ。」とみんなから言われることに
プライドを持っていた。

その髪が伸び放題になっている。

「散髪してあげるよ。」と私が言うと、切って欲しい、と夫婦口を揃えて言ってきた。
この後、姉夫婦と合流して、山の中のコテージに移動し、寿司や珈琲やお菓子を持ち込んで、半日のんびりしようと言うことになっている。
散髪道具も持って行き、コテージでお昼食べてからしようと言うことになった。


***

コテージ自体は車で20分ほど山に入ったところにあった。

ところが駐車場からの道が年寄りには険しかった。
予約を取ってくれた姉に、義兄(旦那さん)が「あんたさん下見に来たのかね。」と、杖をついて恐る恐る歩く父に申し訳なさそうに言ってくれた。

目も悪くなっている父は、主人の肩を借りてゆっくり進む。

なんとかコテージに入ると、窓の外は深い緑が、遠くに近くに立体的に広がり、豪雨の後で、風も暑くない。気持ちがいい。

寿司を3〜4個食べると、合宿用のような簡易なベッドに、父はすぐに横になる。
姉夫婦の娘、しば犬のモモカが、父のところに心配そうによって行く。


それでも、食後の珈琲を淹れお菓子を出すと、少し休めた父が起き上がってきて、お茶をしながらの定番の子どもの頃の話が始まる。
それを知らない2人のお婿さんが上手に絡んでくれて、穏やかなくつろいだひと時、笑い声が深いみどりの中に溶け込んでいく。


***

さあ、散髪しようか、とベランダに新聞を敷き、椅子を置いて父に座ってもらう。

思えば、私は高校生の頃から姉の髪を切っていたし、結婚してからは、2人の子ども達の髪もずっと切っていた。そうか、なんか懐かしい。このシチュエーション。

くくれるだけの長さを残して、バッサリいく。10cm。落ちた髪を見て「ほう、バッサリいったな。」と言う父の笑顔に不思議と力が出てきた。
中で見守る母と主人に「いいね、いいね」と言われ、頬の血色さえ変わってきたように見える。

「はい、できた。」耳の周りも整えて、ものの10分。最後にトレードマークの一つ結びをしてあげると、「いいか、いいなぁ」と納得し、立ち上がり動作が心なしかスムーズだ。

その間、モモカの散歩に出ていた姉夫婦はまだ戻らない。

「ちーちゃーーーん(姉)」とベランダから山に叫ぶ。「ちーちゃーーーん」主人が、おいおいと苦笑いするけれど「ちーちゃーーーん」気持ちがいいから叫びたい。


***

帰路は同じ山道を登ることになる。
でも、父が主人の肩にしがみついていた手を離して一人で杖をつき、歩いている。

行く時と、明らかに何かが違う。
駐車場に着いた時、「やあ、歩けたわー」の父の言葉は、独り言だったけど、みんな嬉しかったはずだ。


***

明けて今朝、母から電話があった。

「昨日は本当にありがとう。
お父さんね、昨日の夕ご飯は、あなた達が買っておいてくれたうなぎを丼にしてぺろっと食べれたんだよ。いい運動になった。自信がついたってね。」


そう言う母も、まともに歩けない。昨日も行きも帰りも両杖ついて、集中して一人で歩いていた。母子家庭の一人っ子で育った母の負けじ魂は、素直さに欠けるところがあるけど、父の老いを止められず、見ているだけの不安があるだろうことは、この電話の嬉しそうな声から、逆にひしひしと伝わってくる。


***

昨日は終戦記念日。
両親の世代は戦争の生き証人の最後の世代だろう。
それも子どもの目から見た戦争。
食べるものに乏しく、親に甘えたい時に甘えられなかった。
生きるための戦いだったことだろう。

そして、今、子に甘えられる時に、コロナだ。
寿司だって、うなぎだって、本当ならめっちゃ美味しいお店に連れて行ってあげたい。
でも、感染が怖い。これを気の毒と見るのは違うのかな、と思いながら父の横顔を見ていた。


それにしても、人には元気玉があるんだね、身体の中に。
それは、きっと私の中にもある。父の元気玉が弾ける瞬間を見て、私の元気玉の弾ける音がした。

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