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批判に対して、どう捉えるのか…

こんばんは、天道です。

この前あるメルマガで、「批判に対する免疫力」

という内容について書かれているものを読みました。


批判に対する免疫力を高める方法の一つとしては、

「多くの人の前で本音で話す」ことを書かれていました。


自分は人の前で話すことが苦手でした。

たぶん、最初は誰もが苦手だと思います。


でも、いつのときからか、だんだんと話せるようになっていきました。


いつのときだったか思い出そうにも思い出せません…

幼稚園や小学校低学年のときなどは、大勢の人の前に出ただけで、

怖くて泣いていたりしていた私でした。


小学校高学年のときはイジメにあったりしたので、

なるべく目立たないような生き方をしていました。


中学校のとき…そう、中学校のとき、

先生に言われて校内の「弁論大会」に出ることにしました。


出ることにしたというより、「出ろ」と言われたので出ました。

後から考えると「度胸試し」のつもりだったんだなとわかるのですが、

弁論大会前日までは、本当に泣きたくなる毎日でした。


「なんでワシがやらんといけんのや…」

と、ずっとボヤいていました。


ボヤきながらも、ベストを尽くさないと先生に怒られるので、

自分なりに精一杯原稿を書き上げ、読む練習をしました。


弁論大会当日…なんか気持ちが落ち着いていました。

やれることはやっていたので、落ち着いていられたのだと思います。


結果…金賞をいただきました!


自分の中で何か少し「自信」なるものが出来た瞬間だったのかも
しれません。



それからウン十年たって、冒頭で取り上げた「批判に対する免疫力」

という内容のメルマガを読んでアウトプットしたものの抜粋が、

下記のものです。


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ほんと人間、

「批判されてナンボ」

だと思います。

批判されないと存在していないのと
同じです。

批判されることで、
”あなた”は認識されます。

批判されないのは認識されないのと
同じです。

生きていないのと同じなんです。

堂々と批判されて生きていきましょう!

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中学生の弁論大会のあと、批判されもしましたが、

批判されるということは、自分が認識されたことだと、今はわかります。


弁論大会前までの自分は、イジメられないように、認識されないように、

生きてきたと思います。


しかし、批判されることで、

自分という人間の「考え」を周りに認識させました。


批判されることは大多数の人にとっては、気持ちいいものではありません。

出来れば批判されないほうが、良いに決まっています。


ですが、批判されないのは認識されないのと同じです。

過度な批判は困りますが、ある程度の批判は「当たり前」という

考えで生きていければ、

少し生きやすくいられると思います。


それでは、おやすみなさい。


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