イス取りゲーム
この世は、「被害者のイス取りゲーム」
だと、思うんです。
先に「被害者」になって、
「自己主張が強い人が勝つ世の中」
に、いつからなったんかなぁー。
って思いますね。
「問題だぁー!問題だぁー!
大っっっ問題だぁー!!
さあああ!みなさん!見てください!
ジャッジメントしてくださいよおおおぉ!!」
大体、そういうかたが
「一番大問題」じゃないですか。(笑)
「車の事故」でもそうなんですよね。
詳しくは保険屋さんにでも
聞いていただきたいんですけど、(笑)
「過失割合」があって、「何」対「何」で、
いろいろ「弁償代」やら、「病院代」やら、
どうやって、
保険のお金でまかなっていくかとか、
決めるんですよね。
「警察の人」がいろいろ聞いたりする
じゃないですか。
周りの「事故を起こした人の話」を聞くと、
「車」対「車」は、
どちらかが、
「完全に止まっている場合以外」は、
「過失割合」がつくらしいんですよ。
大体「車」は、どっちか動いてますよね。
人間、「生きている限り」
「両成敗」だと思うんですよ。
「死んでる人」にします?
今、
若い人の言葉で「コミュ障」
という言葉をよく耳にするんですけど、
「巧妙」に自分の「過失割合」を
なんとか下げようと、
上手にされるかた、
いらっしゃるんですよね。
そういう場合、「コミュ障」のかたって
不利なんですよね。
周りがちゃんと突っ込んでくれる人がいたら
いいんですけどね。
「本当の被害者」がかわいそうなんですよ。
ただ、
「車の事故」にしても、
「人間同士の衝突」にしても、
現場にいる人間にしか
わからないんですよね。
「当の本人同士」しかわからないんですよ。
やっぱり、
そういう人から、自分を守ろうとしたら、
避けるしかないんですね。
先に「被害者」になることで、
知ってか、知らずか、
巧妙に「得」をしたり、
人に「責任」をなすりつけたり、
「暴力を使わない暴力」で、
この世はあふれています。
「不運」だとは
思わないでください。
そっと
その人から離れてください。
「不運」を信じれるのに、
なんで
「幸運」は信じれないんですか?
特定の人間しか、「幸運」は与えられないと
思っているからです。
「神様」とか「宗教」とか
「そんなんいらん!」「信じない!」
は結構ですが、
「自分を見捨てて自分のこと見てない神様は
おるやろなー。」
それって、
「神様の存在信じてる」っていうんですっっ!
なんでも「イメージ」ですから!!
「与えるもんは、与えたから!
あとは、
あんた!それでやってみ!」
って言われてるんです!
必ず「神様」はいますから!
「あなたが呼んでない」
「あなたが見てない」
「あなたが必要としてない」
「信じる力が弱いんです!」
「自分でつかみとりにいったら
いいんです!!」
「つよいこころを持って!!」
「わかった!神様!やってやるぜ!
しあわせになる!」と
「決心」したら、
被害者のイスばかりが気になる人間は
あなたの前から消えるんです。