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教えるということ。


あくまでも個人の意見なので。(笑)


「一生懸命、誰にも負けない仕事を
やって見せるだけでいい」と思うんですよ。

「背中で語る」って、
言うじゃないですか。

「強く言う」「強く叱る」必要は
ないんですよ。

それは、

「教える側の迷い」と「自信の無さ」で
やることだと思うんです。

「諭す」、「巻き込む」というイメージで
いいと思うんです。

しかも
「楽しみながら。」(笑)


「前に言ったよねぇ」
「何回も言わすな」は、

「教えることを放棄してる」と思うんです。

また、

「別のことで腹がたっていて、
そこで八つ当たりしてる」ようにしか
思えないんですね。

「わかるまで」「できるまで」、
「懇切丁寧」に
教えることだと思うんです。 

「甘やかしだ」というのは、
教える側の
「根拠のない責任逃がれ」だと思うんです。

じゃあ、

「教わる側のやる気の無さの根拠」は
一体どこにあるんですか?と
思うんですね?

全てが「教わる側個人の責任」のように言うのは

おかしいと思うんです。

「今年の新人はハズレばかりだな」なんて
いつまでそんなこと
おっしゃってるんですかね?

「この人のようになりたい」と、

「思わせれない先輩のほうがハズレ」ではないのですかね?

良くなっていこうと思うから
「質問」をする訳であって、

それに

「懇切丁寧」に「答えること」
「伝えること。」

「正確」に伝わるように、
「言葉を選ぶこと」
「言葉を自ら学ぶこと」に、
「教える側の学び」があると思うんですね。

伝える自信がなくて、
伝わらないことにイラついて、

強く言っても、何も前に進まないんですよ。

だから

「教えることは学ぶこと」
だと思うんです。

「学ぶ」の「語源」は
「真似ぶ」だと聞いたことがあります。

一生懸命な先輩を「真似」しよう、
「先輩」のようになりたいと思うから、
その姿を「学ぶ」のだと思います。

何よりも、

どんな人であれ、

「奇跡的なご縁」だと思うので、

「大切に」「楽しく」「お互い気分よく」、
仕事をしたらいいんです。

それが「切磋琢磨」だと思うんです。

それが人間の「カクユウゴウ」で、

「光を放つ」のだと思います。

「社長」だろうが「部長」だろうが

「父親」だろうが「母親」であろうが

その人が「本物の先輩」かは、

「後輩が決めること」だと思います。

それが

「人徳」なんだと
僕は思います。


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