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コンカフェの話題ってよく炎上するな

割引あり

私は炎上したくないので、自分の意見をツイートしちゃったなと思ったらすぐに消す。意見がぶつかるというのは「お互いの正義のぶつかり合い」でしかない。そういう考え方もあるよね、以上の和解はSNSじゃ存在できない。

ビジネスにおいて炎上なんて大概、商機でしかないわけだけど……それでも自分がなるのは絶対にいやだ。生きていけないような心地になっちゃうだろうから。

中には稀に、炎上をしない、自分の意見を表明しないやり方でもたくさんのひとに愛されているひとってのは存在する。それはもうとんでもない努力とセンスによって構成されている活動だからこそなのだろうけど、私はずっとそれになりたい。
むずかしいのはわかっちゃいるけれど。

でも話題に直接触れなくても、日々のやり方で主張することは絶対にできるはず。私はつねに意思表明をしないようにしたいけれど、それはただ口で言うのは簡単だと思っているだけだ。私の性格上、言ったら満足しちゃうような気もするし。
お客さんのことを大事に思ってます、って言うほうが、実際に大事にするよりよっぽど簡単だもん。そんなあたりまえのことをわざわざ言いたくない。これは私の美学とかに当たるのかも。
もちろん、そう言ってるひとは絶対お客さんを大事に思ってない! って主張したいわけじゃない。言っただけで大事にしたことにするのがやなんだね。

「コンセプトカフェのガールズバー化」みたいなのをSNSで見かけたけれど、私がコンセプトカフェというジャンルを知った7年前にはすでにガールズバーだなあって感じていた。“女の子がいる”ことに価値があるお店は、(ひとにより意見は違うかも知れないけれど)私にとってはどれもガールズバーに見える。想定顧客層の違いで、コンカフェと呼ばれるかガルバと呼ばれるか、にしか見えない。
それは私の浅学さによるものかもしれない。育ってきた価値観に基づくものかもしれない。そのあたりはわからない。

メイドさんのいるお店をメイドカフェと別区分で扱うのは”女の子がいる”ところじゃなくて”メイドがいる”ところに価値があるからだと思う。

女の子がいる、じゃなくて”キャスト(演じ手)がいる”ことがコンカフェの価値なのだとする。
それだったら、じゃあ、ガルバの女の子たちだって”ガルバの女の子という役柄を演じている”んじゃなかろうか。なにが違うんだー……。

べつにどのジャンルの店に上も下もないけど、上とか下にしたいひとたちが炎上させるのかもしれない。それか過去にいやな思いをしたお店があるから、印象が悪いとか。よくわからない。他人の考えていることなんかわかるわけないのだから考えたってむだなのかも。それにお客さんって消費者側だから、むりになんでも好きになる義務なんかない。違うと思ったら行かなきゃいいだけだ。お客さんの思うように店は変えられないし。

でも、(店員という言葉ではちょっと内包しきれない)幸せを願う側として、傷ついたりくるしい思いをする呪いが、すこしでも和らいだらと願っている。強く。

私が私の意見を強く持って、こうだ! って主張するのは「そういう形がいちばん幸せにできる気がする」という確証もない自信があるからかも。
誰かを変えようなんて大それたことを志せるような存在ではないけれど、日々にこやかに過ごしていけるよう、苦しかったことを軽くしたり、嬉しかったことを倍にしたり、そうしてむずかしいけれどたくさん悩んで接していくことが、私にとってのコンセプトカフェで働く意味だった。

たぶんそういうキャストって少なくない。言葉にしないだけだ。
かっこよすぎるよ。

今後の予定

Velvet Roomは調整中です🙏
たのしみ!


生活の余談

頑固と言われるのがとてもいやだった。そりゃまあ、他人から見たら気難しく見えるのかもしれないほどに、私は自分の考えを曲げないかもしれないけれど。
たくさんのひとと関わってたくさんの話を聞いて、すこしずつ形が見えてきたものをつなぎ合わせてできた私は、よほどのことじゃぐねぐね曲がらない。たぶんみんなそういう部分はあるはずだけれど、私はどんな人間の前でも絶対におなじことをいうから「頑固」と言われるのかも知れない。

それが世渡り下手だという自覚もあるし、こんなにも人間社会に溶け込めない自分を愚かしくも思う。
だけどそうやってぷかぷか生きるメリットもこの世界にないし、生きづらいなりに行き詰まったら終わればいっか~くらいの気持ちでいる。それが私の生き様として美しいような気もしているからだ。

私は口がたいそう悪いのだけど、それは防衛反応にも近い。言い返してくる存在にセクハラやパワハラの矛は向いてこない。いや……なんでこっちが防衛せなあかんのですか? というのは一番にあるんだけれど。
生きていくうえでちいさな戦いを何回もやって、それでもこんなにひねくれちゃっているんだから、そしてそのひねくれを「美しい」と自分で思っちゃってるんだから。
でもそれを好きだとか、きれいだって言ってくれるひとたちは、私が「美しい」と心惹かれたひとたちなのだ。だからいいかな。

なにはともあれ、傷つきたくはないし傷つけたくないけど、傷つけてくるなら戦うしかない。残念ながら私を守れるのは私だけだ。
でも誰かを守れる私でありたい、と思ってしまうよ。
誰のために強くなろうとしてんだか!

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