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ショートショート『春は出会いと別れの季節』

春は出会いと別れの季節。

電話が鳴った。
俺じゃない。鎌田の方だ。
スマホのディスプレイを確認して、そっとポケットにしまった。
「全然出てくれたらいいよ」

そう言っても鎌田は決まりが悪そうにしていた。
では、とだけ言って入口の方に行ってしまった。
やっぱり、俺に聞かれるのが嫌な相手だったのだろうか。
そもそも教育係になったぐらいでは人間は大して親近感を抱かないのか。
素直に今でなくてもよい、もしくは出たくない相手だったのに気を遣っていると思った俺に気を遣って入口で電話を取る振りをしたのか。

「一旦冷静になって話をしよう」
居酒屋のBGMに紛れて鎌田の声が聞こえた、気がした。
自分に関係あるものはどんな雑踏の中でも聞こえるように脳ができているそうだ。
これを「カクテルパーティー効果」という。
だが、今はカクテルもなければパーティでもない。
今の聞こえなかったことにするには無理があるか。
鎌田の声が途切れ途切れに耳に入ってきてしまう。
これ以上何もせずに待っていると聞き入ってしまいそうで、店員を呼んだ。
あたかも、空き時間を有効活用し注文を先に済ませていましたが、というテンションを貫くことに舵を切った。

「すいません、注文までしてもらって」
「いや、そんなの」
どれくらいしゃべるのが俺の普通なのか分からなくなった。
聞こえてないを貫くことは出来るのか考えを巡らせた。

「昨日から彼女の機嫌が悪くて」
就職後に破局する、よく聞く話だ。
よく聞くだけであって、体験したことはない。
幾多もの楽しいイベントを見過ごす代わりに、破局という大きなネガティブイベントを回避するという戦略的撤退だ。
そう言い聞かせている。
「まあ、よく聞くけどね」

「なんか別れるとか言い出して」
それは大変だ。
例え部長の鶴の一声で急に決まったサシ飲みの会であっても主催は俺だ。
俺主催の飲みの席のせいで破局が決定づけられてしまった。
そんなの背負いたくないし、後から言われるのはもっと嫌だ。
「彼女の所、行ってあげなよ」
気付いたら、そう言っていた。

「いや、でも」と渋る鎌田を尻目にカバンを持たせて
「ここは俺が出しておくし」
と、まくしたてた。
鎌田も鎌田の彼女も大学で上京し、そのまま就職した。
そう聞いている。
ありがとうございますと言って、足早に出ていった鎌田を見ながら、
酒を一口含んだ。

俺はサシ飲みが嫌で、鎌田の状況を利用して1人行かせた。
本音の部分はそうかもしれないと思った。
新社会人が大変なのはよく分かる。
しかし、新社会人を向け入れるのが2回目で初めての教育係も同様に大変であるということも分かってほしい。

「お待たせしました。唐揚げと刺盛です」
店員が料理を運んできた。
俺は2人分の料理が並び始めた卓を見て自分の不甲斐なさを恨んだ。
俺、これ1人で食べるのか。
急に現実に戻った。
料理がもともとは2人いたことを突き付けているように見えた。

引き戸の音がした。
もしや鎌田が帰ってきたのか。
一瞬そう思ってヒヤッとした。

グレーのスーツを身にまとった女性が入ってきた。
金曜日以外も来るのか、そう思った。
俺は週末の金曜だけこの居酒屋に来て酒を飲む。
それで十分満足だ。
金曜日のときは決まってカウンターに座り、アルコール度数の弱いそうなパステルカラーの酒をよく飲んでいるイメージがある。
お酒を大きく分けるのならば、カシオレと同じグループに属すものだと思う。

そんなことを考えていたら目が合ってしまった。
俺の視力からすると目が合っているのかはわからないが、視線を感じたから目が合ったのだと思う。
その女性がこちらに会釈をしてきて、確信に変わった。
空席がまだ目立つ時間にも関わらず、彼女は俺の隣の二人席に腰掛けた。
「金曜日以外に来られるの珍しいですね」
「いや、今日は会社の後輩と、いや、さっきまでいたんですけど」
これでは、1人ではないのを装うために架空の後輩を作り出した、もしくはまだ口をつけていない料理があるくらいの序盤で後輩に愛想を尽かされたのどちらかのようではないか。
「電話を受けて行っちゃって」
例え面識のない後輩でも、破局寸前の彼女がいることを行ってしまっていいのかと逡巡の果てにでたことばだった。
しかし、これは明らかに俺は優先度が低いと判断された人間ですと言わんばかりではないか。
「なんか、彼女と破局しそうだとか」
結局後輩を売った。
「そんな焦らなくても、お連れの方が居たのは疑ってませんよ」
と言って、彼女はカウンター席を指差した。
「いつもはあっちに座ってるのに、今日はこの二人掛けの席だから」
彼女の方がよっぽど頭が回っていたようだ。
話を聞けば、会社が同じビルに入っているそうだ。
世間は狭い。
周りにいる人も同じビルで働いていたり、隣のあのビルに通勤してるかもしれないと思うと少し可笑しくなった。
「良かったら、一緒に食べませんか」
恥ずかしくなって、2人分頼んじゃったのでと付け足した。
「2人で食べる予定だったものを1人で食べるのってなんか寂しいじゃないですか」
そういうもんですか、じゃあお言葉に甘えてと彼女は笑った。
誰かと飲む酒も悪くないと思った。

次の日の朝、会社のフロントに着くと、昨日の女性を無意識に探していた。
自分のデスクで出社前のささやかな抵抗としてくつろいでいると、鎌田がやってきた。
「昨日はすいません」
そう言って小さく頭を下げた。
俺の気にしすぎだったと胸をなでおろした。
「鎌田が行った後、料理来ちゃってびっくりしたよ」
鎌田が少し笑った。
その続きは敢えて伏せておいた。

春は出会いと別れの季節。

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