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エッセイ 誠実

誠実について考えてみる。

私はあまり悪いことはしない。
罪悪感で心が耐えられなくなるからなるべく嘘も吐かない。
けれど、どちらかというと申し訳ないという気持ちよりも
心の鏡に映った自分を見て、きっと幻滅するんだと思う。
誰にでもなく自分自信が「なんでそんなことした?」と自分を責める。
または、神様がみてるぞって自分の心の中で勝手に脅してバチが当たるとびびっているのかも知れない。

そこで思うのが、自分を醜いだとか卑怯だとかジャッジするということは人のこともジャッジしていないだろうか。

自分の倫理観や正義感、ルールを守るのが心の健康に良いとして
それをそのまま人に押し付けてないだろうか。
はまらない人を排除していないだろうか。
はまらないから理解できずに敵とみなしているのではないだろうか。
それはとても視野が狭く愚かなことではないだろうか。

果たして誠実で平和的なのだろうか。

私は昔から苦手なタイプの人がいる。
自分を偉いと思って偉そうな人だ。

彼らは自分のルールに囚われて
清く正しいのかも知れないけれど
目に映る全てが気に入らないから基本的に余裕がなく仏頂面だ。

彼らは自分の価値観を押し付けてくるから
自由が好きな私は脅かされてどうしても害に分類してしまう。

振り絞ってるのと振りかざすのはどうしてこんなにも違うんだろう。

彼らのことも理解し、彼らが楽になれるように何が出来るか考えないと。
きっとそれが私の楽になる。
どうにかこうにか顔の筋肉をほぐしていただきたい。
こちらも身構えたくないのです。

きっと私と彼らはそんなに違わないはず。
誰も間違ってたとしても悪くはないはず。

極端な話、
戦争が怖くて、幸せな時間が多いとうれしいでしょ。

誠実か。
自分が疲れたくなくて気楽になりたい。
同じ気持ちでしたらあなたもよろしければ。
そんな真心。

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