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もしも、アインシュタインが個別最適な学びを受けていたら

文系人間にとって、物理学とはハードルが高いものです。
一方で、量子力学が気になっている自分もいるのです。

アインシュタインのエピソードのうち、
自分なりに興味を持った2つをピックアップします。

アインシュタインは自分のことを次のように書いています。

「私は、いかなる国家にも、また友人がつくるサークルにも所属したことはありません。自分の家族とさえ距離をたもちました。自分自身のなかに引きこもる必要性は年々増しました。孤立を守ったせいで、しばしば苦い思いをしましたが後悔したことは一度もありません。他人の理解や同情を受けつけなければ、彼らの偏見からも自由でいられます」

家族からの距離をたもった結果、第1章で述べたように、妻との関係、子どもとの関係もさめたものでした。最初の妻ミレーバはそれに耐えられませんでした。

長女レイチェルは、就職に不都合という理由で、生まれてまもなく養子に出し、次男エドゥアルトは長じて統合失調症の症状を示しチューリッヒの精神病院に入院しましたが、金銭的な面倒はみたものの、1933年に会ったきり、生涯、会いにいくことはありませんでした。

P.44

家族ですら「偏見からの自由」を求めて距離を置く。
その感覚が自分には分かりませんが、
付き合いが多ければ多いほど、
しがらみが増えてしまうことは事実かもしれません。

このようなアインシュタインに対する教授陣の心証は最悪で、のちにミンコフスキーは、相対性理論をつくったのがアインシュタインと聞いて、「ほんとうに驚きだ。学生時代の彼はまったくの怠け者だったからね」といったと伝えられています。
しかし教師の立場でいうと、学生には天才はいないという前提で授業をします。天才のレベルにあわせて授業をすると、クラスの大部分の学生にはチンプンカンプンのレベルになってしまうでしょう。授業というのは、あくまで平均的な学生のレベルにあわせて、一歩一歩順序立てて教えていくものなので、アインシュタイン・レベルの能力の学生にとって退屈なのはしかたないのです。

P.99

授業をする側からしても、
アインシュタインのような人間がいたら難しいですね。
以前勤めていた学校は、東大や京大にも合格する生徒がおり、
一方で、国公立大学を目指している生徒もいました。
授業の難易度の設定がとても難しかった記憶があります。
結局、間となるレベル(概ねセンター試験で80点以上)を標準とした
授業をしていたので、トップの生徒からすると、
やや物足りない場面もあったかもしれません。
そこは、個別指導でカバーしていました。

「個別最適な学び」とうたわれて久しいですが、
仮にアインシュタインが現代の教育制度で生きていたら、
どのようになっていたのか、少し興味がありますね。

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