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登校拒否はいつから不登校になったのか

なぜこんなことを思ったかと言うと、
以前に「ポリティカルコレクトネス」を知ったからである。

看護婦→看護師(2002年)
スチュワーデス→客室乗務員(1996年)
伝染病→感染症(1999年)
といった具合に、結果として変更された名称もある。

自分のフィールドで考えると、
登校拒否→不登校
が思いついたので、調べてみた。

どうも、1998年以降に「不登校」となったらしい。
2000年前後に、色々な名称が変わっていることは非常に興味深い。

なぜこの時期に変化しているのだろうか

いろいろと検索してみたが、
明確な答えはなかった。
ヒットした記事を1つ紹介。

もともとは、1980年頃からそういった差別用語のない表現が政治的に妥当であるという考えから、Political correctness(政治的正当性)が使われるようになり、そこから意味が広がっていきました。
日本でも2000年代以降にポリコレという言葉が出てくるようになり、在日コリアンの方たちへのヘイトスピーチに対する問題などエスニック・マイノリティの人権問題と共にポリコレも知られるように。

確かに、ヘイトスピーチもこの頃から少しずつ出てきたように思います。
それぞれが「正しさ」を振りかざす社会って、
なんだか息苦しさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

私が担当する高校の「公共」という授業では、
「正義」「公正・公平」「平等」などについて考える時間を設けています。
このポリティカルコレクトネスは良い教材になるかと思います。
その際には、次のような視点も同時に紹介しながら。

ポリコレには明確な方針やレギュレーションなど存在しておらず、「どこまでがポリコレとして正当性があるのか」という側面があります。
そして、歴史的に出来上がったことばを細かく見ていき、差別的用語と批判することに対して否定的な人も少なくありません。
例えば、「嫁」ということばに対して、その漢字のつくりから「女は家にいるもの」という差別をはらんでいるなどとの指摘がありますが、そこまでは言い過ぎではないかという論争があります。

それぞれの国が独自に創り上げてきた文化を尊重しつつ、
グローバル化にも対応していくことは難しさもあります。
でも、その難しさを克服できるバランスの取れた人間を、
これからも育んでいければと思います。

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