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掃除、大事。

学校では掃除の時間が設定されていますが、
なぜ掃除をする必要があるのでしょうか?

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/002/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/06/20/1406021_12.pdfから抜粋

実は、学校において、校内清掃は、
「学校の業務だが、必ずしも教師が担う必要のない業務」です。
それでも、掃除をすることの教育効果はあると言う人もいます。
『掃除道』(鍵山秀三郎、2005)には、実際に掃除がどのような効果があり、
どのように変化をもたらすのか書かれています。

掃除に取り組み続けてきたことで、もっとも顕著な変化があったのは、社風がよくなったことです。掃除は普通、共同作業で行ないます。共同作業には連帯感と協調性を高める効果があります。自分たちの職場を、共同作業できれいにすることによって、自然に連帯感と協調性が育まれていきました。その結果、社内の人間関係がよくなったと思います。
だからといって、掃除をしてすぐ儲かるというようなことはありません。ただ、掃除をして環境をきれいにしますと、職場の雰囲気が穏やかになります。穏やかな環境は、心の荒みをなくし、怒りを抑える効果があります。たとえ会社の経営が厳しい状況にあったとしても、社員の表情が明るく生き生きとしています。人によっては、見違えるほどよい人相になります。当然、家族や周囲の人に対して優しく気遣うようになります。
掃除には、ただ単に周囲がきれいになるという効果だけではなく、人間を根底から変える力があるようです。とくに、逆境のときは身の周りをきれいにしておくと救われるような気持ちになります。

P.30

掃除をするとき、上を向いて掃除する人はいません。掃除は必ず、下を向いてしなければできません。つまり、掃除をする形そのものが謙虚な姿だといえます。あの人は、掃除をして傲慢になったという話を聞いたことがありません。掃除を続けていると、例外なく謙虚な人間に変わります。
自分が謙虚になりますと、自分と接する周囲の方々の対応も自然に変わってきます。いままで挨拶もしなかったような人が、挨拶をしてくださるようになります。
とかく私たち人間は、自分のことは棚に挙げて、相手だけを変えようとするものです。しかし、自分の思うように相手を変えようとしても、金輪際変わるものではありません。相手を変えようと願うのであれば、まず自分自身を変えることが先決です。自分が変わった分だけ、相手も変わります。「私が私を捨てれば、そこにあなたがいる。あなたがあなたを捨てれば、そこに私がいる」(山本紹之介)という言葉がありますが、その通りだと思います。

P.69

この学生のいうとおり、私たちは道に落ちているタバコの吸殻一つ、空き缶一つ拾うのにも、そうとう大きな勇気と広い心がなければできません。「私は、毎朝、自分の会社の周辺と道路を掃除しています。バス停にはいつも五、六人、多いときは十人もの人がバスを待っています。その目の前で、ゴミ拾いをすることは、なんとなく気恥ずかしいものです。ましてや、その人たちの足元に落ちている吸殻を拾うのには、そうとう抵抗があります。しかし、人間というのは、そうした抵抗を超えていくことで心が鍛えられ、より成長できるものだと思います。ですから、吸殻を一日に少しずつでも拾って歩けば、そのたびに大きな勇気が得られることになります。私は、この吸殻や空き缶などをただ拾うことだけが目的ではなく、日本をゴミ一つない国にしたいと思っています。これを小さなことだと思いますか?」
と尋ねました。
学生は即座に「大きいことだと思います」と明快にいってくれました。
「そうでしょう。やっている行為は小さく見えても、実は大きな意味があるんです」
とお話ししました。

小さなことでも、それを実行するには大きな勇気が要ります。
ですから、道に落ちているゴミも、日々自分を鍛えてくれる大事な条件だと考えることもできるのです。


Chat GPTが作成

私の日課は、朝7時頃から校舎の掃除をすることです。
きっかけは、生徒の心の荒みを感じた出来事でした。
他の授業をしているにもかかわらず、配慮なく大声でしゃべる。
「誰かがしてくれる」と高を括り、電気やエアコンをつけっぱなしにする。
掃除時間になっても、ほうきをもって喋り続ける。
その場で指導するだけでは、根本的には解決しない。
そう感じ、自らが掃除をすることで、鍵山さんが言われているように、
校風を変えていこう。そんな覚悟を持って毎日取り組んでいます。
最近は、共鳴してくれる男子生徒が現れ、
一緒になって掃除をするという嬉しい出来事もありました。
その男子生徒に共鳴した別の男子生徒も、昨日掃除をしていました。
人数を増やすことが目的ではありません。
あくまでも、私自身の心を磨き続けること、
そして、生徒の心が豊かになるような校風を築き上げること。
今日も、心を磨きたいと思います。

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