見出し画像

「なにかあったらどうするんだ症候群」

AIスーツケースの開発を進めておられる
浅川智恵子さんの著書を紹介します。

もっと多様性を生み出す必要がある日本において
とても多くの示唆を与えていると感じました。

後から聞いた話だが、今度入ってくる客員研究員が視覚障害者であること、つまり私であること、そして視覚障害者と接するのに何に気をつけなければならないか、職場の仲間たちが話し合ってくれていたとのことだった。
たとえば「テレビ観た?」などと聞いて良いのかどうかといったことを話し合っていたらしい。私からしてもテレビは「観る」ものであり、英語でもウォッチTVとは言うがリッスンTVとは言わない。だからテレビは「観る?」と聞かれるのが当然だと思うのだが、視覚障害者以外からするとそういったことも傷つける原因になるのではないかと心配になる、ということを知った。
私を含め、みんな経験がなかった。いったいどのように違いを受け入れていくことが正しいのか。自分たちの行為や言動が、相手からみた時にどのような意味を持つのか。障害とどのように向き合うべきなのか。社会は全くと言っていいほど、こうした議論に不慣れであり、 多数派側からはもちろん、少数派側からも、模索はされていなかったように思う。

32ページ

勤務校でも留学生受け入れに際して、
事前に多くの議論をした記憶があります。
確かに、こうやって事前に色々と想定をすることが大切なのは、
言うまでもありませんが。
しかし、結局、その子がやって来て、そこで色々と
試行錯誤を経験する中で受け入れの形ができたように感じます。

初めはわからないこともたくさんあるだろう。多様性とはわかりにくく、理解するのに時間がかかることもあるだろう。職場や学校で、たとえば外国の方やLGBTQ+、障害者といった異なる文化、習慣、考え方、価値観、性的指向を持つ人とともに歩んでいくためには、新たな思考回路を必要とする。戸惑うこともあるだろう。これまでの日本社会では、多様性を持つ人々の存在が見えにくくなっていたように思える。
しかし、そうやって見過ごしていた場所に、未だ発見されない才能、キラリと光る視点を持った原石が眠っている。誰も取り残さない世界は、誰にとっても暮らしやすい世界を目指している。

101ページ

新たな思考回路を生み出すことが苦手な日本社会。
でも、グローバル化の時計を巻き戻すことはできないですし、
むしろ、今後さらに押し寄せてくるでしょう。
だからこそ、こうやって多様性を受け入れることの
重要性を感じられる名著を広めていくことが大切だと思う。
その一端を教育が担っているのは言を俟たない。

2020年に開催された、科学技術と社会の関係を考えるイベント「サイエンスアゴラ」でも、NTT会長(当時)の篠原弘道さんが、60点でスタートし、みんなで改良するということを受け入れていくことが大切だと発言されていた。
たとえば、今後の社会基盤となりうるAIのように、大量のデータを集めなければならない技術においても、「なにかあったらどうするんだ症候群」では、世界の国々から後れを取ることになる。それでは、日本はイノベーションが起こせない国になってしまう。
何か起きたらどうしようではなく、新技術の導入によってどのような未来が拓けるのかを想像し、前に進むこと、そして、何かあったらみんなで考えていこうという姿勢が重要ではないだろうか。

これは為末大さんの記事を著者が引用したものです。
「なにかあったらどうするんだ症候群」
私もかかったことがあります。重病化すると危険です。
日本はその末期患者になっているのかもしれません。

今こそサントリー創始者鳥井信治郎の
「やってみなはれ やらなわからしまへんで」
の精神でイノベーションを起こす時ではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?