『蝶と帝国』南木義隆 感想文 「回り道をした少女」
(画像出典:河出書房出版『蝶と帝国』 装画 shirone)
「回り道をした少女」
この物語は、一人の少女が愛する女のもとに行くために長い長い回り道をして、果てはその道が行き止まりだった、そんなすれ違いの物語である。
20世紀初頭のロシア帝国、オデーサの街で、屋敷の貴族の娘であるエレナとその屋敷の侍女(と敢えて呼ぼう)であるキーラは、平和に、そして密かに愛を交わしていた。神も帝国も同性愛を許さなかったからだ。そして、帝国が許さないものは他にもあった。ある日、キーラは強姦殺人事件の報と警察がユダヤ人居住区を捜査することを耳にする。ユダヤ人居住区には、キーラの友人であるナオミとその娘が住んでいる。キーラは居住区に走った。けれども、救うことは叶わず、無惨に殺された二人の遺体を見ることしかできなかった。キーラは復讐を誓う。「けれども、誰を?」。それを知らぬまま、キーラはエレナの元を離れ、モスクワに経つ。
キーラはモスクワで成り上がった。最初は小さな料理店兼娼館の支配人として。さらに、その店の支店が十数店を数えるようになり、それを束ねる「レストラン王」として。そう自分を呼称した新聞に掲載された自身の姿を見て、キーラはようやくエレナと対等になれたような気になる。しかし、その仕事の代償としてキーラは睡眠薬とアルコールの中毒患者になっていた。そして、眠っている間に近づいてきた革命の足音に、キーラは気が付かなかった。
レストラン王となったキーラはエレナと久しぶりの再会を果たす。そこでキーラに告げられたのは、エレナの婚約者が決まったということだった。そして、もう一度エレナに会うことはなかった。革命が、白と赤の戦争が、エレナを肉塊に変えた。
キーラは最後に己の胸の中でこう呟く。「どうしていつも、お別れの時間になると、素直にさよならと言ってしまうのだろう」。キーラはエレナとナオミのことを深く愛していた。けれども、どちらにもそれを告げられないまま、永遠の別れが来てしまったのである。
キーラには、真っ直ぐの道が用意されていた。即ち、一思いに愛を打ち明ける、という道である。しかし、キーラは回り道をした。今までのエレナとの関係に甘えることなく、対等になろうとした。だが、その道は閉ざされていて、決して愛の告白にまでは至れなかったのである。
しかし、本当の問題は、彼女に用意されたいくつかの道の中で、正しい道が一本でもあったのか、というものになるだろう。これを考えるのがこの作品を読む上で一番重要な部分であり、そして、一番面白い部分でもある。
「あなたを愛することを許さない敵は、神か、王か、革命か。」……本書の印象的なキャッチコピーである。しかし、このキャッチコピーには一つ白紙のスペースが残っている。あえてだろう。それを取り払う無粋をするのなら、私はそこに、「それとも、己自身か」と書き加えたい。
キーラはコンプレックスを抱えていただろうと私は思う。それは、ユダヤ人に育てられながらもナオミと同じユダヤ人ではない、というコンプレックスであり、自分はただの飯炊きに過ぎずお嬢様<エレナ>と対等な存在ではない、というコンプレックスである。キーラはそれを解消するため、回り道に走ったのである。それは当然の帰結だったかもしれない。コンプレックスとは、簡単に取り払えるものではない。しかし、もしもキーラがそれをコンプレックスとも思わない性格であればどうだろう。私はそのことを指して、「己自身か」と付け加えたい。コンプレックスを抱えている以上、きっと彼女は正解だったとしても真っ直ぐの道を進めなかった。だからこそ、この物語はこんなにも壮大で、こんなにも力強く、こんなにも悲しさに満ちている。
これは、回り道をしなくてはいけなかった、一人の少女の物語だ。
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