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[2]自己中人間、始めました。

他人に興味はあるけど、他人にどう思われるかの興味がほとんどなくなった。

(私が好きな人は別☺️)
(言い方冷たいかもしれないけど、
この感覚は私にとって割とポジティブで、
他人の目を気にすることなく自分がやりたいことが出来るようになったという感覚です。
常識の範囲内で)

これを思うようになったのは、
大学の講義受け始めてから。

教室に私のことを知らない人が多いほど
心地いいなと感じるようになった。

他人が私を知らない状況が過ごしやすいって、割と共感してもらえる感覚だとは思う。

基本的に私は自分に注目が集まって嬉しい人ではないし、そういう人も多いと思うので。


でも人への興味が湧かなくなったんじゃない。

むしろ人への興味は尽きないし、
人の思考とか感情とか
掘り起こすのが大好物まである。

これは、私の根本的な興味のベクトルが
自分に向いたからじゃないかなと思う。

色んな論理すっ飛ばして結論だけ言うけど、
私にとって「自分」は相対的な存在でしかない。

他者の存在(人、物、現象、出来事、環境など)があって、
それに私が反応して、
その反応を私が認識して、
初めて私は私がどういう人間かを自分で理解できるようになる。

だから興味のベクトルが自分にむいたからこそ、自分の周りにもベクトルが向くようになった。という感じ。

私が私を理解するには、他人を知るという過程が絶対に必要。

そういう意味では、私は今までの人生の中で今が一番自己中心的な世界で生きていると思う。

「自己中」ってそれこそ中学の頃は人への悪口の代名詞だったけど、

私は割とポジティブに自分の形容詞として使ってもいいなと思うようになった。

割と本気で「私=世界」くらいに思ってる。(規模感のバグ)
(今度はここもっと掘り下げたいな…)

あと、自己中心的になると自己肯定感の上昇も感じる。
自己中になると自分のことばっかり考えるようになる。

詳細に言い換えると、自分にすっごい意識が向いて強い興味を示している状態になる。

そうすると、自分の気持ちの変化とか、行動に敏感になって、自分の分析が始まって、自分のことがよくわかるようになる。

私の中では「私=世界」なわけだから、世界のことをよくわかってることになる。

そうすると、自分が心地いいように行動したり、自分の周りの環境を整理できるようになって、自分が分からないことからくる不安が解消されて、今の自分を受け入れやすくなるみたい。

だから、前より自分に自信が持てるようになった気がする。

自分で自分のことを受け入れやすくなって(自己肯定感の上昇)、生きやすくなるのは良いんだけど、自分がそうに変化することで、よろしくない変化かもと思うこともある。

例えば、人の取捨選択が早くなった。
(友達にしたくないタイプ)
(取捨選択した人に対して人格否定をするとかではなく、シンプルに関わりを断つようになるということ。)

自分がどうすれば心地いいかがわかるようになると、自分にとって負の影響をもたらす可能性を感じる人の取捨選択も早い段階で出来るようになる。

そうすると、自分が大事にしたい人だけを厳選するようになって、人間関係がドライになってきたなと感じることが多々あります。

私の精神衛生を維持するために、大切にしたい人を少数精鋭にして大切にしていくことは大事なことだと思うけど、それだと人脈が広がらないよなとも思う。

いや私生活において大事にしたい人は少なくていいと思うけど、
仕事とか自分の素を出す必要がない場面において、人脈を大事にするべきなのかな…

と満足な結論もないまま駄文をつらつらと重ねてしまいましたが、
頭の中身ごちゃついたまま出してみました😶
テスト期間なので(言い訳)

考えてみたいテーマも私の混沌とした思考から見つかったので、
未来の私が考える材料として残しといてやりますわ。

人間関係については、恋愛とか友情とか母親の存在とか、そういうのも言語化したい欲でいっぱいです。
誰か私とディベートして私を助けてやってください。(土下座)

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