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[3]執着したい。

私は執着が出来ない。

特に人に関しては。

俺達いつメン!とか、俺達親友!とか出来ないし(でも心地いい人の側にいがちだからやってることは実質いつメン!)、
好きな人への気持ちも「絶対誰にも渡さねぇし死ぬまで離れねぇ」とまでなったことない。(少数派みたいな面して言ってるけど多数派かも…?)

そんな私でも執着するほど強い感情を人に持ってみたい、執着ってどんな感情なんだろうかーーー???という純粋な好奇心から今回は「執着」がテーマです。

「執着」への憧れ


そもそも「執着」とはどういう意味か。

執着(読み)シュウチャク
一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。

コトバンク

執着:仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。

Wikipedia

辞書的な言葉の意味を引っ張ってきたわけだが、これくらいのレベルなら私でも何かしらに執着してそうだ。(企画倒れ)

ここで私なりに「執着」の意味の補足をする。
もちろん基本的には辞書的な意味だが、それに加えて「それがないと生きていけないくらい固執する」という意味を加えたい。
辞書的意味よりもっと激しい感じね。
私の中での「執着」という言葉はそれくらいの感覚。

なんで弊害が起こり得るような感情をわざわざ感じてみたいのか。



「この人に恋して人生180度変わりました!」くらいの激重感情を抱くような恋人が欲しいから。


これに尽きる。

では、なぜ私はそんなに激重感情を抱くような恋人が欲しいのか。


巷に蔓延るラブストーリーに憧れているからです。(単細胞)


恋愛って小説でも歌でも漫画でも古文でも何百年と世界中でこすられてるジャンルじゃないですか。
それが主題の作品に出会って素敵だなぁ憧れるなぁってシンプルに思うでしょ。
そしたら私もそういう恋愛したいなと思うでしょ。

別にハッピーエンドでもバッドエンドでも構わないんですよ。
私の心が死ぬほど振り回されるなら。
(余談ですが、私は両想いだけど運命に二人の仲を引き裂かれる系純愛ストーリー(ロミジュリ系)がタイプです。)

私は自分以外の人間に我を忘れるくらい振り回される経験をしたいだけなのよ。

本気で恋愛にのめり込んでみたいのよ。
だって素敵じゃん…

現実にそんなやついるかよって思うでしょ?
いるんだよ私の周りに…
本気で恋愛している人間…
妬み嫉みが止みません…

(冒頭で、「特に人に関しては執着できない」と記述したけど、対象がものだと話はまた別)


「執着」のリスク


そもそもなぜ私が人に執着できないのかというと、恐らく人に執着することで生まれる弊害を避けようとしているからだと思う。

人に執着すると、日常のいろんな点において不都合が発生することは想像に難くない。

相手が自分の行動の軸になったり、相手の一挙手一投足に対して情緒が安定しない、つまりメンヘラになりやすい。(根拠を示せ根拠を…)

私は人に執着はしたいけどメンヘラにはなりたくない。
なぜなら心に辛いことはしたくなくて、なるべく周りに迷惑も掛けたくないから。
メンヘラさんは、当事者は心地いいと感じるような瞬間もあるかもしれないけど、客観的に見たら全然関係性を築けているように見えないじゃないですか。

結局私はどうしたいのか。そして気づき。


いろいろグダグダ文章を書き連ねてみたけれど、
結局私は自らの意志で今の他人との付き合い方を変えることはなさそうです。
安パイだし、楽しいし、人も傷つけない(と思っている)し、現状が一番平和なのだと思っている。

だがしかし、人に執着することへの刺激も諦められない私もいる。


書いてて気づいたのだけど、「執着する」ことにこだわらなくても「愛する」ことを覚えれば良いのでは…?(アホの子)(もっと早く気づいてもよろしかったのでは…?)(むしろそっちが定石なのでは…?)

「愛」の定義も全くできていませんが、お互い良い方向に進める「執着」って「愛」なのでは…?

…ということで私は恋人が出来たら「執着」するんではなくて「愛」そうと思います☺️(多分全人類知ってた結論)

(死ぬほどでかいテーマだけど「愛」がテーマの議論ってしてみたさあるよね…)


悩み


毎日書こうと思い立ったものの、この長さの文章を自分が許容できるクオリティで書くのは無理だと気づきました。
明日からはどうにかしてバランスのいい文章書きたいです。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、ってね。

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