小中学校の記憶がない

 蓮田彩子には小中時代の記憶がない。友達はいた記憶はあるが名前は憶えていない、と思ったら一人思い出した。小学生時代の君。中学校に上がったら完全に無視されたね。だがそれは仕方ない。彩子は自分から話しかけることが一切なかったので、つまらない奴と思われていたのだろう。当然のごとくそうなるだろう。そういえば高校時代でも1年で仲良かった人も2年になってクラスが別れたら没交渉になったのだった。「お前話さねえからつまんねえんだよ」みたいなこと言われた気がする。それはそうだよね、すまん、過去の名前も憶えていない友人たち。

 友達の名前もそうだけど先生の名前も誰一人憶えていない。特に中学時代は暗黒時代だったので個々のエピソードも記憶の倉庫には何一つ残されていない。……嫌な思い出以外は。何故嫌な思い出だけ記憶に残っているのだろう?

 そもそも中学時代は学年全体が荒れていたのだった。舐められてる先生の授業では私語が大きすぎて授業にならなかったり、警報ベルは毎日のように鳴らされて、ひと月に1回は窓ガラスが割られて、トイレで喫煙してる生徒がいたりと碌でもない学年なのであった。自分の一学年上と一学年下は平穏無事な学年だったように記憶する。だから自分たちの学年が卒業した年、一年下の生徒たちはさぞかし安堵したろうと思う。学年全体でクズしかいない最低の学校生活を中学時代に送ったのだ。

 それはともかくとしても、小中の修学旅行とか学校行事などの記憶がないとはどういうことなのか。かなり年月が経っているとは言っても何か一つでも記憶していることはないのか、これはもう何度も考えてきてはいても本当に思いつかないのだ。友達もいなかったから仕方ないのか。その時仲良かったと言えど、もう交流はないのでそれは友達ではなかったのだろう。「記憶」というのはある意味人とのつながりを意味するのではないかと思ったりもするので、そういう密接な「人とのつながり」がなかった時代、記憶がなくなるのも自然な流れなのかもしれない。

 記憶ができないというとネガティブなイメージを抱かれるかもしれない。しかし実はそうではない。嫌な思い出だけ残ると書いたが、それは確かにそうなのだが、どちらにせよ彩子にとっては人生そのものが無理ゲーであり、つまりは「人生=嫌な思い出」なのでそう考えると記憶の大半が薄れてしまうのは良いことだったりもする。数年前のバイト先の人の名前も憶えてないしね。コミュ障で簡単な仕事もできない彩子みたいな人にとってはアルバイト先でも迷惑を掛けることしかできないので、結局居場所がなくなって辞めてしまうのだ。バイト先の人にとっては彩子が消えることが仕事を円滑に進められる唯一の方法なので、彩子みたいな人間のクズは辞めてしまうのが吉なのである。本当にごめんなさい、バイト先のもう名前も憶えていない人たちよ。

 蓮田彩子にとっては他人と関わることがもはや苦痛でしかない。何故自分のような人間がこの世に生まれてしまったのか、考えても答えは出ない。