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日々つれづれ

久しぶりの展覧会

GW合間は仕事していましたが、お休みたくさんあると心が弾みます。
少し前までは「土日までしのぐ」ことでなんとかやり過ごしてきました。
お休みを指折り数えて、ただただ過ごす。
身体と心が休養を求めていたのでしょう。
冬眠みたいなぼんやりした世界。
心がはずむようになったのもつい最近。
まだリハビリ中で、お休みの間も楽しく過ごせる日と
そうでない日がありました。

仏像をお寺以外のところでみる。
いつもある空間でないからこそ細かいところまで全部見られる。
まさかの後ろから、足元から、色々なところをすみずみまでみる。

展示の方法やライティングも工夫されてきていて、
「みやすく、わかりやすく」。
燃えてしまったら困る重要文化財、昔からの居場所に置いておけず、
お寺に戻っても本当においておくべきところでなく、「別の場所=宝物館」に置かれていたりする。
「仏像を見る」ことに重きが置かれる展覧会と
「信仰の場」にある仏像。
普段は寺の中にはおいていない、けど「敷地内」。
残ってきたものには意味があるけれど
お寺にある仏像と、仏像をみるための展示。
毎回ぼんやりそんなことを考えます。
すみずみまで観察してさらに感じる「凄さ」
一目でとらわれる「凄さ」
そこには何の違いがあるのだろう。
出会い方?それともその場の空気?
見る側の気持ち?
ぼんやり考えていつもまとまらない思考。
今回もびびっと「これだ!」という考えに至りませんでした。
まだまだ反芻する、と。

さてまだ傷癒えず、ぼんやりあゆみを進めるとざっくり足の裏が切れているみたいなさらに傷が増える場面もあり。
どっぷりつからずに距離を置きながら振り返る。
繰り返し考える。
しばらく考えるのをやめてみる。(これがなかなか難しい…)
おいしいものとか、見たい絵に気持ちを移すとか。
気分転換ができるようになったのもつい先ごろ。
大きな権力と争うとどれだけズタボロになるか、
だから「逃げる」こともみんなは考えるんだ、と気づいたことすらつい先ごろ。
まっとうにやりあって更なる傷口ひろげたところにはまだ血がにじんでいるので手当しつつのんびりするふりして自分もごまかしつつ、日々過ごす予定です。


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