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ADHDの診断を下されて良かったこと


はじめに

皆さんは、ADHDの診断を下されることにどのような印象をお持ちでしょうか?当事者の方もそうでない方も、きっと様々な思いを持たれてることと思います。

 私は、2022年5月(当時23歳)にADHDの検査を受診・診断を下されました。(特徴としては、〔言語理解〕が高い一方、〔ワーキングメモリ〕が低いところにあります。)当事者の私ですが、お恥ずかしいことに精神医学的な知識も、社会の風潮などの知識や理解もあまりないです。
そんな私ですが、ADHDの診断を下されて良かったと感じることを二つ書かせて頂きます。 


 

① 自己理解が深まること

医師より診断を受けると、知能検査(WAIS-Ⅳ)の結果を確認することができます。今まで感じていた自分に対する違和感が言語化され、自分をより理解できるようになりました。それに伴い、以前から継続して受診していたカウンセリングやADHDについて学ぶことへの意欲が高まりました。

②生きやすくなること

一つ目に関係しますが、自己理解が深まることで「短所」を「個性」と思えるようになりました。すると、以前よりリラックスして過ごせるようになったと感じます。
 私は診断を受ける前、よく自分の感性を否定し一人で苦しんでいました。表現が難しいのですが、私は本当に恵まれた環境で育ちました。大切に育ててくれた両親のお陰で、学生時代は趣味の合唱と勉強に打ち込むことができました。誰もが知る高校・大学にも進学をさせてもらい、個性を受け入れてくれる人・環境に恵まれた貴重な学生時代を過ごさせて頂きました。
一方、どのように努力しても物忘れやミスが多く、自分は、「何か欠けている」「普通より足りない」と常に孤独を感じていました。その自己の感じ方を否定し、学生時代には一度鬱で苦しみました。
今でこそ、「脳の特徴だから仕方ない!マイナスを補う努力より、自分の強みを活かす努力をしよう」と思えるようになりましたが、随分遠回りをしました。

最後に

確かに、ADHDの診断が下りた直後は『障害の受容』が大変です。障害という名称の仰々しさ、心が理解に追いつかない感覚があります。特に、今まで目を逸らしてきた弱さに正面から向き合うことや、周りとの関係が変化することへの不安は大きいです。また、私は世間知らずの甘い人間で、会社では上手く適応できず、会社の方や家族・大切な人には、沢山の心配とご迷惑をお掛けしました。
 しかし、短所の反対には必ず長所があります。これまでお世話になった方々に少しでも感謝を返せるよう、自分の可能性を信じ、これからできることを頑張りたいです。


 ADHDの診断を受け入れることは精神的負担が大きいことです。私はADHDで良かったとも思いません。しかし、診断を受け入れることは自分らしく生きる為に大切な作業だと思います。障害の受容を通じ1人でも多くの方が生きやすくなること、また社会についても正しい知識が浸透することを願います🌱
 
 最後に、この投稿を最後まで読んでくださりありがとうございました。


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