「私」の中には、家庭や職場といったあらゆる立場の配慮的な気遣いをする私とそれ以外の私が存在する。私の世界は、この配慮的な気遣いによって認識された世界に心を奪われているのである。私とは、そのときどきの立場で閉じ込められているおのれの内面から出てゆかず、常に「外部」に存在している。

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